絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

今月のスケジュールなど

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『絵画セラピー・ケアエクサ』
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「子どもの笑顔が大好き

子どもと関わることを仕事としている仲間が集まり、月1回のスタッフ勉強会の場を持ちながら、
自己研鑽に努め、よりよく成長していっています。


ワークショップ

心と身体のケアエクササイズ
  
   
子どものための絵画セラピー講座 
  
大人のための絵画セラピー講座

を中心に開催しています。


* 8月のスケジュール *

心と身体のケアエクササイズ

18日(金)14:00〜16:00 - 志木

25日(金)14:00〜16:00 - 志木

  プライベート絵画セラピー 

16日(水)13:00〜14:30 講座、その後フィードバック

  大人のための絵画セラピー講座

27日(日)13:00〜14:30 講座、その後フィードバック

  - 南越谷




そこでは・・・・

たくさんの感動の瞬間!!

心が研ぎ澄まされていく感じ

痛い! けれど自分には 確かに必要だったと思う

心が軽く、穏やかになっていく・・・


周りの人とのつながりを味わう

自分が・・・子どもが・・・家族が・・・ もっともっと好きになる

そんな体験が盛りだくさん!です。


◆ホームページできました
http://haruwomitsuketayo.wixsite.com/kazeniyurerukigi

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 持ち込み企画も随時募集中です

5名以上で開催!
お気軽にご相談くださいね。


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非公開希望の方は、その旨お伝えください。

比叡山にいってきました

京都を初めて訪れたのは中3の修学旅行。

金閣銀閣、有名どころを回ってから
団体のバスで比叡山にも向かい、
根本中堂というところで
法話をうかがいました。

わいわいがやがやとしていたのに
この山に入ってからは
何か空気感が違い、
心がすーっと穏やかになるような
そんな気持ちがしていました。

比叡山延暦寺は天台宗の開祖、
最澄がたてたお寺ということ以外
当時もよく知りませんでしたが、
今回訪れてみると、延暦寺は総称だそうで
ものすごい数のお寺が山全体にあることが
わかりました。

その中でも一番重要とされているのが
根本中堂なのでした。

根本中堂の中には
不滅の法灯と呼ばれるものがあり、
なんと最澄の時代から1200年、
一度も絶えることなく
灯がともり続けています。

人々の心を照らす灯。
どんな状況下でも守り続けられてきた灯。
なんと尊い光なのだろうと
当時、感動を覚えました。

「皆さんも心の中に
決して消えない灯を持ちつづけてください。
それがあなたを守り、支えになることもあるでしょう。
勇気をもらえることもあるでしょう。」

そんなお話をいただいた気がします。
修学旅行生向けに、笑いなどもまじえながら
楽しくためになるお話にひきこまれ、
とても印象的でした。

灯を持ち続ける…それは自分自身の生き方にもなります。
一筋の光、希望の光をいつも持ち続けること、
自分を信じて生きていくこと…

様々な思いが交錯しながらも
私もそんな灯を持ちたいと、その時願いました。

そしていつか、大人になったら
またこの灯を見に来ようと思ったのでした。

何十年もたって、ようやく来れました。

京都を数回訪れても
なかなか比叡山までは足を延ばせずにいました。
場所的にはほとんど滋賀県だったんですね。
山奥には間違いないですが。

今回はレンタカーを借りたので
迷わず向かうことができました。
というより、今年は行くぞと決めていました!

あの頃と同じ空気感。
改修中のため、外観はネットに覆われていましたが
靴をぬいであがっていったところは
神聖な雰囲気に包まれていました。

灯は行燈のようなものの中にありました。
(以前はちがった?)
直接炎を見ることはできませんでしたが
とても暖かく優しい光を放っていて
「お帰りなさい」と迎えていただいたようで
胸にじーんと来るものがありました。

京都の夏の暑さも何もかも
一瞬忘れて
長い間手を合わせていました。

1200年の長きにわたり
灯は何を問いかけてきたのでしょう。
あるいは、ただそこにあるというだけで
人々の心にも一筋の光を届けていた。

長い歴史の中では
私たちは本当に一瞬の存在です。
それでも、自分はどうありたいのか。
どんな人生を歩みたいのか。
灯を目の前にして抱く思いは人それぞれだとしても
いつの時代も「人」は「人」
変わらないのかもしれません。

灯を見つめながら
自分の心を見つめるひとときが持てたこと、
感謝です。

普段は日々の忙しさに追われがちですが
時にはリセットする体験も大事ですね。

それにしても山の中、
古木、大木に守られた空間は
なんとも神秘的で不思議でした。
自然のもつ力は偉大です。

周りにいらっしゃる観光客の方々が
なぜかみなさんとても穏やかに見えることも
この場所ならではだったのかと思います。

またいつか訪れてみたいです。

心の灯をしっかりと持ち続けて。


七夕の願い

先日の七夕に子どもたちに願い事を英語で書いてもらいました。将来の夢や欲しいものをすぐ書く子。逆に欲しいものやなりたいものがなく、『どこか行きたいところはないの?』と聞くと、『ディズニーランドに行きたい』と書いてくれました。でも書きながら、『でもね、お父さんディズニーランド好きじゃないから連れていってもらえないんだ』とひと言。

中には『楽に死ねますように』と言う高学年の子がいて、『先生より若いんだから、まだまだそんなこと心配する必要ないのに』とその場では笑い飛ばしたけれど、後から何か心配事や辛いことでもあったのかな?と心配になりました。

一方義母のいる介護施設の短冊には、『長生きできますように』『健康で入られますように』などの他に『子供の顔が見たい』『家に帰りたい』と言う願いもあり、その心情を思うとちょっと辛くなりました。

子供達の願いにはまだ未来があり、可能性があるけれど、お年寄りの願いには切実なものがあります。

その人たちの置かれた環境や状況、また人それぞれの受け止め方や考え方で違ってくるのだとつくづく考えさせられました。

みんなの願いが天に届きますようにと思った七夕でした。


好奇心?それとも躾?

先日ロシアを旅行し、知人の別荘で可愛らしいお隣さんに出会った。
お母さんと一緒にクッキーを作って持ってきてくれた3歳のソーニャ。異国の私に人見知りせずニコニコと笑いながらロシア語で話しかけてくれる。

あまりに可愛いので、日本のフルーツの飴を4つあげると、喜んでくれた。
お母さんによると棒のついたチュッパチャプスしか食べたことがないとのこと。
ソーニャは初めて見るフルーツの絵が描いてある飴に興味津々。

お母さんに一つ開けてもらい口に入れてしばらくすると口からぽろっと出している。『味が合わなかったのかな?』と、心配すると、次の飴の袋を開けてとお母さんに頼んでいる。開けてもらいお口に入れてしばらくするとまたぽろっと出してさっきの飴の隣に並べる。
これもダメだったのかな?
するとまた次の新しい飴にチャレンジしようとしている。

お母さんは『本当はマナー違反だけどね。ソーニャは好奇心が旺盛なの。』と言って次のも開けてあげようとしている。ソーニャはというと、全身からワクワク感が伝わって来るほど嬉しそうに今度はどんな味かな?と興味津々の様子。
見ているだけで微笑ましくなる。

確かにお行儀は悪い。でもこんなに好奇心が旺盛な時はまず子どもの好奇心を満たしてあげることの方がマナーより大事なのではと思った。

きっと自分が子育て時代の時には息子にお行儀が悪いから一つ食べ終わるまでは次は開けちゃダメと言っていただろうに。

でも今目の前の子供が目をキラキラと輝かせて興味津々な姿を見ると、マナーも大事だけど、それより子供のどんな味がするんだろう?何色なんだろう?なんでベタベタするんだろうなどの好奇心を満たしてあげる方が余程大事なのではないかと思った。
後で今日は特別に食べさせてあげたけど、本当はこんな食べ方はしないと教えてあげればいいのだから。

結局ソーニャは4つの飴を舐めてみて、テーブルに並べた。ピンク、黄色、グリーン、オレンジと全て色が違って、宝石のようにキラキラとしている。こんな風にして見たことないな。きれいだな。

手はベタベタになってるけど、ソーニャも嬉しそうに眺めては、また一つずつお口に入れたり、出したりと楽しんでいる。

嫌いだから飴を出した訳ではなく、どんな色なのか、舐めるとどう変化するのか目で確かめたかったんだ。五感で飴を味わってる。

私はその時第三者の立場だからゆったりとした気持ちで子供に向き合えた。子どもの気持ちがよく理解できたんだと思う。
ソーニャのお母さんはよく見守れたな、えらいなと思う。

子育て時代を振り返ると初めての子育てに、良いお母さんになろうと必死だった。『良いお母さん』とは、子どもにとってというより、他人から評価される事だった。

今なら他人の評価を気にするより子どもとしっかり向き合える子育てができそうな気がする。

躾ももちろん大事だけど、目の前の子どもを見てその時大事なのは何か、子供と向き合えるお母さんでいてほしい。

今の世の中情報に溢れ、時間に追われ、お母さんたちは忙しいし、疲れている。
『良いお母さん』にならなくていいから、お母さん自身が心身ともにゆとりを持って子供と向き合ってほしいなと思う。







自分の傾向を知ること

自分は自分。

そんな風に思いつつも
実は本当の自分って??

わかっているつもりで
わかっていないこと、ありますよね。

人は自分を基準にものごとを考えがちなので
心理ワークなどをして、
他の方の感じ方などをお聞きすると
こんなにも多様な感じ方、考え方があるのだと
時にものすごく驚かされ、
人それぞれ、個性があるとわかると同時に
自分の傾向もだんだんわかってきます。

ケアエクササイズをとおして
自分を客観視してみることができる
貴重な機会をいただいている感じ。

それは日常生活にも生きてきます。

誰にでも長所・短所がありますよね。

それぞれも表裏一体で
長所の裏に隠れた短所もあるかもしれないし
短所と思えるところが実は長所でもあったり。

だからこの時点で長所・短所と分けたりせず
単に「特徴」なんだと私は思います。

まずはまるごとの自分にOKを出して
こんな自分もいるんだな、と
それを受け止められること。

時にはそれが辛い作業だったりも
あるわけですが。

でもその作業に慣れてくると
じゃぁ、どうしたい?
どうすればいい?

そんな気持ちの変化が生まれます。
意識するだけでも
今までは見えてこなかった
様々のことに気づいたり。

慣れ親しんだ習慣や感覚を
一度に変えることは難しいですが
意識して少しずつとりくむことで
周りは確実に変わっていきます。

もしも何も変わらないとしても
それを受け止める自分の感情が
変わってくると思います。

そして
人間関係も変わってくる気がします。


自分の傾向を知って
それをジャッジするのではありません。

そうか、そういう傾向があって
うまくいかないことがあるのなら
そこを意識して変えてみようかなーとか
そう思うのなら素直にそれを伝えてみようとか。

そこを変えると
きっとまた新しいものをつかめるような
視野もぐんと広がるような…

自分を知る。
それはより良い自分の成長のため。
より清々しく生きていくためのように思います。

だからそれは自分で感じないとですね。

人が見た自分をさがすのではなく
人の評価に左右されるのではなく
自分自身で自分を見つけていく。
ジャッジをせずに客観視をする。

そこが大切なんだと思います。


気づき始めても
本当にそれを客観視して見れるようになるまでには
とても時間がかかることもあると思います。

かと思えば、同じようなことが続けて起きて
あ!これ、自分の癖かも?と
突然気づいちゃったり。(最近のワタシ)

今まで通りのほうが楽ちんなわけですから
多少の不便があっても
楽な方に流れるのが人間。
ここは忘れてはいけません。

日々流されてしまっていると
深く考える時間がなくなってしまうから
もったいないですよね。

ゆったりした時間は
意識して持ちたいものです。

つまづきながら、転びながらでも
自分と向き合って成長していく人に
なりたいと思う。

そういう人たちをみてきているので
それが本当に尊いとも思うのです。

みんなしっかり自分とむきあって
何かが腑に落ちた瞬間があるといいます。

これはもう目からうろこどころではなく
パーッと視界も広がって
内側からぐわーっとくるものがある感じ。
(人によってイメージは違うかな)

魂が喜んでいる感じ??
大げさにいうと世界が変わる感じ。

人間、一生成長できる生き物です。

だから自分の傾向を知らないまま
ほうっておくのはもったいないです。

成長のチャンスが隠れているから。
もっと自分を大切にして
もっと幸せな思いを感じていくことが
できるようになるはずだから。

まだまだ未熟者ではありますが
それはもっと成長する可能性があるということ!
ずっと真摯な未熟者として
躓いたりしながらも、
前を向いて進んでいきたいです

まじめですねぇ~

でも大事な自分の人生なのだから
まじめでOK!




自分の枠を越えるとき

年明けから、モニター企画にご参加いただきありがとうございます。

私たちにとっても、実践から学ぶことはとても多く、

ご協力に感謝しております。



セラピーを学ぶ

ということは、相手をしり、かつ、自分を知ることにつながります。

相手に対する思いを通して、

そう思う自分を再確認していくからです。

そうして学んでいくと、ある時に ふっと気が付くのです。

「この枠は、だれが私にはめたんだろう」 と。

そこからは、いろんな経験から自分を作るため、守るために

知らず知らずに作っていた 「自分の枠」 から

自分の力で出るために、あがいて、もがいて。

でも、そのうちに やはり ふっと気が付くのです。

「あ、枠が広がっている」 と。

そして、広げる、越える作業は 実は一人では難しい。

他者とのかかわりの中で、積み重なっていくことが溜まって

枠を押し広げていくのです。

いま、きっと私以外の仲間も、「枠を越えた自分」を

感じ始めているところだと思います。

そして、それぞれにより確かな思いを新たにしています。

同じ仲間の目線からみても、

それは とても輝いて見えています。

youko

隠れていた思い

先日、友人宅でのことでした。

おしゃべりに夢中になっていたら
途中でわんちゃんが登場~
すごくかわいくて、甘えん坊。
みんなに、ぴょんっと足をかけて
抱っこしてもらいたそうにしています。

そのわんちゃんが、私のもとに来たとき、
なでなでして、さぁ、抱っこしようかと
身体が動いた瞬間、

心がぎゅっと締め付けられて
「あ、だっこはできないかも…」と、
泣きそうになってしまったのでした。

我が家の愛犬、コーギーが
13歳で亡くなってから、もう1年。
悲しくて悲しくて…という気持ちは
もう忘れていたはずでした。

それなのに、悲しい、切ないという感情が
一瞬にしてよみがえってきて
今、ほかのワンちゃんを抱っこしたら
涙がとまらなくなりそうで、
それをぐっと抑えたのでした。

抱っこできなくてごめんね。
なんか思い出しちゃって。

それを言うのが精いっぱい。

頭で考えることと
心が感じることのギャップの大きさに
とてもとても驚きました。

本当に、予想外のできごと。

でもね、そんな心に気づくことができて
愛犬への思いを再確認できて
暖かい気持ちにも包まれました。

別に、悲しい思いを
閉じ込めてきたわけではないけれど。
忘れようと特別に努力したわけじゃないけれど。

まだそんな気持ちが残っていた。
というか、悲しい気持ちは
ずっとずっともっていていいんだな。
だって悲しい出来事だったのだもの。
そんな単純なことに気づいたり。


人は大人になるほど
頭で考えて解釈をつけて
ものごとを解決していますよね。

高齢だったし、
治療方法もなかったし、
仕方なかったよね。
でも最後まで一緒にいられてよかった。
お見送りも家族そろったし。

そんなことを自分に言い聞かせていたけれど
「悲しい。寂しい。」という感情には
なんの説明もいらなかったんだなぁ。

悲しいよね。
それだけを自分が受け止めればいいんだなと
今さらながらに思いました。

感じたことをそのまま受け止める。
自分の思いを大事にする。
理由や説明はいらないですね。

今回のできごとでようやく
「悲しい」という思いだけを
シンプルに感じることができました。

この話を風に揺れる木々の勉強会でしていたら
またまた涙があふれてきて…

やっぱり忙しさに追われて
悲しい涙も流し切れていなかったのかな。

涙で浄化されたような気持ちです。

心って不思議ですね。