絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

よりそうということ

先日、思いがけず緊急手術をすることになり 

スケジュールが狂ってしまったので 

連絡せねばいけない人達に

取り急ぎ報告をして、

しばらくメールやラインやメッセージのやりとりが続きました。


前から予定していた手術ではなかったので

まず自分自身に心の準備も余裕もなく

一体何が起きたのか理解できず

慌てました。



みなさん 心配してくださり とってもありがたかったです。



幸い これまで、心配する側だったことが多いので

弱っている人に どのような言葉をかけたらよいのか

分からずにいましたが

今回のことで



どんな言葉をもらうと染みるのか。

嬉しいのか。

励まされるのか。


逆に、

今そんなこと聞かれても~と困ってしまうのか。

不安を煽られるのか。



(あくまでも私にとってですが)



相手を説得したりするときに有効な


「私の気持ち」を現す I メッセージは


お見舞いの言葉がけには向かないんだなぁと感じました。



受け取り方もそれぞれですから

正解はありませんが

今回の この経験を生かして

もっと相手の気持ちに寄り添える人になりたいです。


Shinobu

自己客観視


最近の若い人達は、物事を俯瞰して捉える傾向があり、

自己客観視ができてる人が結構多いそうです。


それは、


生まれたときから、ビデオカメラがあり

幼いころから自分の姿を客観的に見ることに

慣れているからという話でした。



家に、ラジカセや留守番電話がやってきて

録音された自分の声を初めて聴いたときの違和感。

ビデオに撮られた自分の姿を見たときの恥ずかしさ。



若い人は、当たり前にあったから

そんな衝撃を味わったことがないんですって。


30~40代以上の人たちには、自己客観視の

トレーニングをする必要があるのかも

しれません。



だから私は、ケアエクサを必要としているのだろうな。




犬って自分のことを人間だと思っているから

鏡にうつった自分の姿をみて

驚き、怒り、よその犬がいる!と思って

ワンワン吠えるんですよね。



自己客観視できてないねぇ。(笑)



Shinobu


もう1歩踏み出すには!

いつも延々と愚痴を言い続ける人、

まわりにいないでしょうか?

愚痴とは言わなくても

漠然とした心配事(老後の不安とか?!)を

そのままずっと持ち続け

あぁ心配~と言っているだけとか。



だったらどうにかすればいいのに。

そう言われてみればそうです!

愚痴や心配を口にしているだけで

なんの対処も行動もとらないことって

結構思い当たる人が多いのではないでしょうか。


仕方ないとあきらめているのか。



実は実は、それって

何もしないことが自分にとって一番楽だからなんですって!


行動する、何かを変える、

それによってどう変化していくかは

やってみなけりゃわからない。

うまくいくか失敗するかどうかも未知数。

それは無意識に不安につながっているのだそうです。

不安を選択するよりは愚痴をとる。

慣れ親しんだ現状維持。


そして漠然と

自分はなんにもしないで

勝手に環境が変わってくれることや

誰かがどうにかしてくれるのを期待したり、

私ががんばるのはおかしい、

今がうまくいかない原因は相手にあるのだから!と

憤慨してみせたり。

これって他者に自分の人生を委ねてるってことです。


でも、誰の人生なのでしょう?

自分が動かない限りは何も変わらない、

自分が変わるしかない、

それがわかっている人は強いです。

自立しています。


どうなりたい、どうありたい、

そんな思いがあるのなら

勇気を出して1歩前に出てみなくては!


あぁそれでも

現状維持ほど楽なことはありませんよね

だったら不満も愚痴も言わなきゃいい。

自分でそれを選んでいるのだから。


そうですよねー

頭ではわかる。



1歩踏み出してみたら

周りの景色も劇的に変わったりするのかも!


失敗しても経験値、と覚悟を決めて、

勇気をもって前に進んでみる。

きっと初めの1歩がとっても大変なだけ。


愚痴を言い続ける自分がいいか、

前に進む自分がいいか。


ほんの少しの勇気と決断力!

いきなり大それたことをしなくてもいいのです。

まわりのちょっとしたことから

少しずつ少しずつ積み重ねて

昨日の自分と違う自分、

少しでも前に進む自分を意識できたらいいのかな。


はい、少しずつはやってきました。

でも、まだまだだなぁと思うこともたくさん。


先送りにしない自分、

無理そうとあきらめない自分、

行動する自分を目指したいと思います!



Miwako


私的転換点

何気ない日常が続く中の

ありきたりな1日である昨日。

そこが私の転換点でした。


ずっと、自分の中の気持ちに

違和感を感じていました。

ごく普通に、どちらかというと

前向きに生きているのに、

時折 襲う 自滅願望。

自分の中に

違う自分でも居るんじゃないか

って思うぐらい、

振り幅の大きい思いにとらわれることがありました。

また、学生時代から人間関係で

同じ失敗を繰り返し、

やっと抜け出したのは最近で、

それも、超えたのではなく

避けてるだけ、という自覚していました。

そんな中、

きみ先生に改めて伝えられた

本当はなにが欲しくて

なにがいやで

なにが辛かったの?

の問いかけ。

直感的に、向き合うときは今、

と、その後、日常生活の中で

自分の感覚を確認しながら

しばらく過ごしていました。


そして、転換点となる昨日。

思ったことを、

書いて伝えてみました。

すると、書くことでどんどん整理される気持ち

それに対する、温かい思いのこもったコメント

から、一気に、自分の中の芯が

クリアになりました!

すると、自分の中の違和感が、綺麗に統合され

あれもこれも、そういうことだったのかぁ

と思い、いろんなことが雲が晴れるように

クリアになったんです!

子どものための絵画セラピーに

長男が参加して、

子どもが問題なんじゃなく

自分が変わらなくちゃ先に進めない

って思ってから、

ケアエクサに参加して。

月に一回は参加したほうがいい、と

アドバイスを受け、

いろんな時があってもなんとか通い

5年が過ぎました。

長いのか、短いのかはわかりませんが

私としては

自力でたどり着けた

ことに、ものすごい価値を感じます。

また、これは1人ではできなかった。

自分と向き合うって

いい自分も見たくない自分も

両方見ていかなくちゃいけない。

それってシンドイ。

でも、なにを見せても受け入れてくれ

見守ってくれた先生と仲間がいたから、

ここまでこれたんだな、と思います。

でも、

ここは目的地ではないです。

この、クリアになった自分で

しっかり生きていくこと

行動することが大切、と感じます。

でもでも、

とりあえず、

最初の目的地にたどり着けて

爽快感を味わっています。

自分の中の真理。

本当に見つけられて良かった!

youko


正しい答えなんて いらない(2014.1記)

昨年の市民祭の後、
ナント8名もの子ども達が入会したダンスクラブ。

しかも幼稚園生3名、一年生4名(もう一人は中学年ですが)
というちびっこ軍団です。

可愛くって、もうメロメロですぅ


このダンスクラブの素晴らしい特徴は

高学年が低学年の面倒を本当によくみること。

自分が小さい時に先輩のお姉ちゃんにやってもらって嬉しかったことを

今度は自然に下の子達にやってあげています。

ですから学校生活においても、一緒に遊んだり、声を掛け合ったりする。

代々そういったことが継承されていっており

その仲の良さにお母さん達もいつも驚いています。



ですが・・・
先日のレッスンではとても残念なことがありました。


レッスンの最後に3チームに分かれ、
その日振り付けたダンスをチームごとに披露します。

それを見ている子ども達は、遠慮なく感想を伝えます。


そんな中、あるチームの出番となった時
慣れているはずの子ども達が自信がなかったからなのか
サッと後ろの方に下がってしまいました。

前に残ったのは入ったばかりのちびっこ達と、一番年上の6年生のみ。

どうするのか見ていると、2回目にさすがに6年生が注意し
しぶしぶ前に来て踊ったのですが・・・。


「まだ慣れていない、お手本がいなければ
できない年下の子達をほっぽらかして
自分に自信がないからと その場からサッサと
逃げるという行動を取るなんて、先生はとても悲しい。
あなた達が低学年の時は、
いつもお姉ちゃん達がサポートしてくれていたはずだよね。

○○ちゃん(6年生)にも注意されていたけれど
その行動について、今どう思っているの??」

と聞いたところ、一様に

「本当は自分達が前で見本となってやるべきなのに

それをしないのは間違った事だったと思う。

今度からは、ちゃんと小さい子のお手本となるようにしなければと思います。」

と素晴らしく 正しい答えを言ってくれました。


ですが私は

「正しい答えを求めているんでも、聞きたいんでもない。

今、それを言われて、どう思ったのか?どう感じているのか?

あなた達のその気持ちを教えて欲しいんだよ。」


でも
なかなか<気持ち>が出てきません。

意味がわからず困ってしまう子がいたり
また同じように、正しい答えを繰り返してみたり・・・


待ってみると、
一人の子が顔を赤くし涙目になりながら

「(自分が)恥ずかしい。…」

と言いました。

「そうかぁ、今 そう感じているんだね。

その気持ちを大事にしたら、きっと同じことは繰り返さないよ。」

と伝えました。

その子は真剣な面持ちでうなずきました。



こんなに小さな頃から、
自分の気持ちを手にとって感じることをしないんだなあ

と驚かされました。


一番まっとうである答え

誰からも非難されないであろう答え

大人が安心するであろう答え

を準備してしまっている。


心は感じていない。
否、感じていても見ないようにしておく。


こんな繰り返し・積み重ねが、

感情を味わえない

味わう方法がわからない

感じるのが怖い

大人を造り上げてしまうのではないかな 
と思った出来事でした。


小さな頃から、もっと内から湧き出る思いをしっかりと感じて
辛くとも恥ずかしくとも そこを、それを大事にしていったなら・・・


味わったことは容易には忘れはしないからこそ

同じ過ちは繰り返さないのです。


形ばかり綺麗に整えても

自分の内側には響いていない・・・

だから同じ事象を繰り返すのです。




「ホント、先生怒ると鬼だ――っ」

と言われようと、

これからも、子ども達と本気で関わっていきます!


kimiko


熱いんだけど、熱くは言えないよね(2014.1記)

学生の頃、
血が熱いよね

って言われて、そうなの?みんなはちがうの?

って、思って。

社会人になってからも、
同期や、上司から

熱くなりすぎると、辛くなるよ
仕事ってわりきれ

って言われ。

熱いって、怒りっぽいってことなのか
反省してみたり。

でも、年を重ねて、
熱くなるって、損することが多いなって
思うようになり、
割りと人からは
穏やかだね
と言われるようになってきて。

今、本当は 教室にきている子ども達に
伝えたいこと、たくさんあります。

保護者の方へのメッセージ、たくさんあります。

でも、
それは、熱い思いの押し付けにしかならない
そう思うから、

欲しい分だけを、とっていってね

って思う。

あなたのことをきにかけているの。

あなたへと、心を配っているの。

そんなことを思いながら、話せば
接すれば

きっと何がしかの欠片は届くでしょう。

それで十分って、満足しなくちゃね。


こうやって文を書いて発信する時にも

心を込めています。

ブログを読んでくださっている方にも

ちょっとしたエネルギーが、伝わって
少しぽっと温かいものが伝わったら

とっても嬉しいです(o^^o)



youko

わかって嬉しい♪ 知って楽しい♪(2014.1)

東野圭吾さまの
『祈りの幕が下りる時』を読み終えたので
(またまたうなってしまうほどの、深い話でした!)
「さあ、次は何読もうかな~」と。


買ってあった
『神社の謎』を読み始めました。

神社の歴史や、作法が細かく詳しく書かれています。

キャッチコピーが
<意外に知らない>
というものですが、まさしく驚いた事がありました。

そしてとても温かい気持ちになりました。

それは・・・


みなさん、近しい人が亡くなった後、忌中という期間には
神社仏閣の参拝を控えますよね?

また前の年に亡くなった方がいたりすると初詣を控えたり・・・。


私も父が亡くなった時など
「身が穢れているので、それで神仏の前に出向いてはいけない」
と聞いていました。

でも私は
「穢れて・・・ないよねぇ。死って穢れではないよねぇ」
と思いましたし、
「もし、神様もそれを穢れとしているなら、悲しいことだなあ」
と思いました。


この本にはそのことが書かれており・・・

穢れているから、詣でてはいけない

のではなく、全く逆の意味でした。


喪に服す
忌に服す

忌中
これは家族であれば、50日間と言われています。

己の心の中と向き合う期間…

出歩いたり、人と会ったりせず
静かに家で過ごすこととするのは

その50日は、故人の御霊にだけ 仕えるように

という意味なのだそうです。


穢れ
などではなく

むしろ故人を、最も大切に慈しむ時間を持ちましょう

という為の習わしだったのですね。


そんな風習、温かいです。



知らないこと
間違えて伝わっていること

意外にたくさんあるものですね。

好きなこと
興味のあること

知識が増えていくことは、とてもわくわくします。


kimiko