以前、お引越し前のブログでも一度書いたことがありますが

私の好きなワークのひとつです

(前回と同じネタもありますがご容赦ください!)


絵画セラピーでは自分の描いた絵の中に、知らず知らずのうちに自分の深層が現れますが

このワークでは、瞑想をしながら誘導されて見る景色や物、人、それぞれに意味があり、

あとからそれらをじっくり味わうことにより、とても腑に落ちるものがあります。

瞑想に慣れていないと頭を使いすぎてうまくできないこともあるかな?

それでも何かしらは浮かぶと思います。

私もメンバーの方々も何度も体験したことがあり、展開まで分かっているし

これが見えたらこんな意味かな?という知識もあるのに

それがまったく邪魔にならないことがとても不思議でもあります。

毎回見えるものは違うし(その時の自分の状態が現れるので当たり前ですが)

え?これ?なんて一瞬懐疑的に思っても、見えるものは見える。

だから、今の自分に何が見えるのか?毎回とても楽しみなワークなのです。



先日のケアエクササイズで、1年ちょいぶりくらいにこのワークを体験しました。

決定的な違いは2つありました (モニュメントとボート!)


まずは前々回のワーク。(約2年前)

当時は、なかなかうまくまわらない組織の中で必死に頑張っていて

気持ちは先を目指しているのだけれど、

もう一方ではどうしたらいいのかわからない焦燥感がありました。


この時見えたモニュメントは、金属製のどこまでも続く高い高いポール、

それを見上げた後、ふと足元を見ると、土台が砂だったのです。

なんで?なんで? 

いくら目を凝らしてみても、サラサラとした砂でした。

これを見ているときは、どうして?くらいの感覚。

やっぱり大変な状況にいることをあとで実感。


その9か月後のワークで見えたのは、紙の箱にはいったリボンのはし切れ。

ものすごーく美しい模様に魅了されるものの長さは1cmくらいしかなくて

これも、えー?なんで? って感覚。

まぁこれだけではなく、その後も瞑想の中で場所を移動し、

いくつかの体験をしてワークが終わります。


先生を中心としたシェアタイムに気づきは訪れます。

前回の足場が固まらない砂地に続き、結びようのないリボン。

自分の中では、とっくのとうに、進むべき道ではないことがわかっていたんですよね。

それは今でこそ言えることかもしれませんが

当時の自分にも衝撃でした。

すぐに、じゃあ、やーめた! なんて単純に思えることではなかったけれど

本当の思いをごまかしながら、進んできてしまったことは自分で納得できたのです。

気持ちを置き去りに前に進むだけじゃダメだったんだなぁと。


その後、気持ちの踏ん切りをつけるきっかけも訪れ、

この1年は、とってもすっきりした気持ちで、心の赴く方向の活動をしています。

だから今回は何が見えるのか、ちょっとワクワク?楽しみでした


今回見たモニュメントはしっかりとした石の土台におかれた

ベージュ色でまんまるの大理石。

つるつると光沢があって、模様も美しく、何よりもどっしりと安定していました。

不思議とその上にも積み木のように石の素材のものが積みあがっていく、

そのイメージは絶対的にもっているのだけれど具体的には見えませんでした。

とにかく今は充実している。でも未来はまだ見えてはいないんだなぁという感じ?

いつもkimiko先生には、「その時の気持ちは?どう感じたの?」と聞かれます。

不安は一切なく、気持ちは安心、ゆったりとしていました。

箱の中にはなんにもなかった

これは時々起ることです。

今、ほしいものがないとか、満たされているとか、そんな風にもとらえていいそうです。

本当は何か見てみたかったけど、目を凝らしても見えなかったのですからしょうがないですね。


で、今まで数回体験したこのワークですが、

初めて今回、自分でボートを漕いで向こう岸の水辺まで行きました

これが自分の中ではものすごい変化のように感じて、なんだか嬉しかったのです。

今までは、ゆっくりとお散歩しながらぐるっと向こう岸までいったり

簡単に渡れる橋が架かっていたりだったのですが

自ら、手漕ぎのボートを選択したこと。

それを楽しんでいたこと。

自分でできることをしていれば、後はなるようになると、

まぁ大らかで楽天的なところが自分の特性で、それもいいじゃないかと思っていましたが

今、もっと力を注いで何かに向かって、確実に進もうとしている自分に出会い

そうだ、目標をしっかりと見定めて、前に進もう!と心が決意しているのを感じたのでした。

でもそれは、荒波を必死で漕ぐような苦しい作業ではなく

なるようになるという今までの思いとも違い、

心からやりたいことを、、意識的に実践していくのだという

希望を感じるものでした。


すべて自分の中にあるものなんですよね。

だからこそ腑に落ちる。


ケアエクサのワークはグループでおこないますので

最後のシェアタイムが貴重です。

自分一人の世界で完結するのでなく、気持ちを分かち合える仲間がいること。

言葉のかけあいによって、更に深く落とし込んだり、気づいたりすることもあります。

先生や誰かがマニュアル通りに、

これが見えたらこういうこと!と断定するものではありません。

話しているうちに自分で気づき納得することなのです。

知識や技法だけでは説明のつかないこと。

頭じゃなくて、心なんですよね。 つまりは感じること。

絵画セラピーとまったく同じです。

そしてしばらく時がたってから振り返ると、さらに気づきがあったり、

その方向で物事が進んで行ったり…


いいものだけ見たい、それは違います。

どんな自分の一部も、自分で受け入れていくことでやがて変わっていくのです

そんな自分もいる、がんばったね、よくやった!



人は誰でも、自分が見えなくなること、あるでしょう。

敢えて見ない、考えないで進む人もいるでしょう。

でもね、自分を見てあげること、とてもとても大切だと思います。

きっかけがなかったら、ぜひ絵画セラピーやケアエクサのワークを体験してみてくださいね!


心からおススメいたします



Miwako