紅葉の美しい季節になりましたね。
ぱっと映える赤も好きですが
イチョウ並木の黄色も和みます。
四季がある国に生まれてよかった♪
どの季節もそれぞれに良さがありますよね。
枕草子の時代から
ずっとそれが続いているんですねー
感慨深いです。

最近、再び思っているのは
「普通」って本当にないんだなぁということ。

自分自身の心の変化、
受け止め方がさらに変わってきています。

多くの方がそうだと思いますが
自分はごく一般的な平凡な日本人だと
そんな風に漠然と思っていた昔。

自己客観視を進めるにつれ、
グループワークを行うにつれ、
ひとりひとり、みんな感じ方が違っていて
「普通」なんてことはないんだなぁと
しみじみ思っていました。
それぞれでいい。
それぞれが素敵。

それでもやはり日本人?!
個性を主張しすぎるとちょっと浮いた存在になるとか
多数派に属していた方が安心感があるとか、
無意識に植えつけられた感覚があるものです。

自分的には、自分らしくありたいと思っているし
そんな自分がいいなぁと思う。

ところが、いつもとは違う場面で
(初めて会うような方ばかりのところ)
いくつかの心理テスト的なものをしたところ
明らかに少数派だと気づいたら、
一瞬焦りました

あれ?
私、みんなとこんなに違うんだ?
私って変わり者??

確か昔は多数派にいたのに
いつのまにか少数派???

でも、なんだかくすっと笑っちゃったのです。
一瞬焦った自分に、
日本人の国民性が出てるなぁーなんて客観視!

日本人的常識や、こうあるべき、というような
自分の本当の思いとは別の
表面的なあるべき姿を自分の解答として選べば
きっと多数派に所属できました

自分はもう、そこからは解き放たれていて
自分の思いをまっすぐ出すことが
(まっすぐ出すことに支障がない環境下で。)
自然体になっているんだなぁと
再確認できたのです。

多数派にたまたまなることもあるでしょう。
多数派が悪いわけではもちろんないです。
少数派に価値があるわけでもありません。
いずれにしても
自分の本当の思いを自分が知っているかどうか。

うわぁ、いつのまにか変わり者になっていた!と
一瞬ちょっととまどって、
そこを経たら、言ってみるなら全員違うってこと、
変わっていて当たり前だな!と
SMAPの歌を借りれば、
みんなそれぞれonly oneの存在だと
またまた実感できました。

わかっていたはずのことを
また深くかみしめた感じです。
(きっとここで終わりでもなく…ですね

きっと多数派の解答だって
ひとつひとつの意見を聞いてみたら
観点が全く違っていたり
同じ言葉を使っていても
その解釈まで同じとは限らない。

「普通」と言う言葉をとってもみても
ひとりひとりの思う「普通」は大きく違うのでしょう。

普通のくらしを大事にしたい。
というような普通は、きっと日常の安定や平和かもしれない。
「普通」を別の言葉にも置き換えられる。
それがわかっていた方がいいのかな?

自分が普通だと思うことは、
自分の個性を見ようとしていないということなのかも。
でも、本当はひとりひとりの個性は見事にバラバラ。
ひとりひとりが本当に特別であること。
家族だって、兄弟だって、まったく別の個性です。

自分の個性を自分がわかってあげる。
普通という漠然とした安心枠でくくらずに
個性あふれる自分を見つけてみると
自分がもっと好きになれるかも。
人と違っている部分こそ個性!

個性は生かすものだ。

(古いバレー漫画「アラベスク」の名言
 ↑年齢がばれます

普通じゃない自分、
つまりは、個性あふれる自分に乾杯