レオ・レオニ作の「フレデリック」というネズミの話
ご存知でしょうか?

「スイミー」はとっても有名ですよね。
我が家にも数冊コレクションがあります。
どれも淡々と語られているのですが
心の奥の深いところに何か残るような
そんな印象的なお話です。

でも「フレデリック」を初めて読んだときは
正直、え・・・?と思わずにはいられませんでした。

だって、ネズミの仲間たちが
みんな一生懸命冬支度をしているときに
ひとりだけ、手伝いもせずにぼうっとしているのです。
仲間にたずねられても
なんだか呑気な感じで
「ぼくは色を集めているんだ」とか
「お話を集めているんだ」とかいうばかり。

そして冬になり、だんだんと食料も尽きてきて…
みんな寒くて凍えて、おしゃべりする気にもなれず。
ふとフレデリックがしていたことを思い出し、
「そうだ、フレデリック、君のあつめたものは?」
と尋ねます。
そしてフレデリックは、いよいよ自分の出番だと
みんなに目を閉じさせて
きれいな色を思い浮かべさせてあげたり
とても素敵な詩を語ったり
みんなの心を豊かにしてあげるのです。

確かに…それは意義あること。
でも働きもせず、みんなが集めたものを食べるって
どういうこと?

この時は、私もまだ新米ママで若かった。
協力し合わなきゃいけないとか、
ひとりだけずるしているみたいに見えるとか、
こうするべき、こうあるべき、
みたいなものが崩せなくて、
フレデリック、それでいいのー?と
心の中が違和感だらけだったのです。

ところが、数年前、本屋さんなどで、
かわいいフレデリックのぬいぐるみを
みかけるようになり、
懐かしくてもう一度読んでみました。

すると印象が全く違うんです。
フレデリックは自分らしく生きていて
自分らしくみんなのためになることをやっていた。
仲間たちも、フレデリックの話を聞いて
心にあかりがともったように
私の心にもぽっと暖かいものが生まれました。

ねずみの仲間もなんて優しいこと。
フレデリックの行動を不思議に思っても
否定することもなく、ありのままで受け入れ、
最後は、「君は詩人だね!」と拍手喝采。

どう行動することが一番良いのかとか
(それは誰にとって?なんのために?)
何が正しくて何が正しくないのかとか…

ジャッジは必要なかったんですね。

たぶん人は、知らず知らずのうちに
自分の中の基準にあわせた物差しを持っていて
常にそれで計ろうとしてしまう。

それがものすごーく短い物差しだったら
ひとりよがりで窮屈な生き方に
なってしまうかもしれません。

子育てをしてきて、子どもと関わる仕事をしてきて
心理を学ぶ機会を得、自己客観視をすすめてきて
だんだんと柔軟になってこれたのかなぁと
そんな風に感じました。

なんだか、うれしい♪
自分の世界も広がってきているようです。

いろんな個性があって、人それぞれで、
それが普通であたりまえのことだと
今さらながらに思うのです。

フレデリックのようにきらっと輝く何かを
きっとだれもが持っているはずですから。

はじめに、フレデリック、だめじゃん!って
思った私も今では懐かしい。
そんな私だって、悪かったわけではない。

ひとつ納得できないと、それが全部に影響する。
でもそれは視野の狭い見方でした。

時々その性質はでちゃうんですけどね。

でもその性質が場面によっては役立つこともある。

だからやっぱり、いい悪いではないですね。

見方を変える。
それをどこかで意識しているだけで
いいのだと思います。

自分の物差しを捨てて、
一歩下がって俯瞰してみると
世界はなんと広く見晴らしがいいものです。
そして気持ちも穏やかです♪






miwako