絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

September 2015

辛さを乗り越える(2013.2記)

小学生の頃 クラシックバレエを習っていました。

バーレッスンは辛く、先生は厳しかった。

でも、色んなことがどんどんできていくのは楽しかった。

褒められたら嬉しかったし
注意されても嬉しかった。

だって先生はいつも

「注意されなくなったら、終わり。
それ以上は伸びないってことだから。」



だから、かな。

今でも、耳に痛い言葉を言われると
痛いし嫌だけど
とてもありがたいなって思う。


子どもにも伝えてる。

諦めてないから、伝えるんだよ。

注意されなくなったら、終わりだよ。



わかるかなぁ。
わかんないかなぁ。


でも、いつかわかって欲しいなぁ。


youko

 

豊かな枝葉を(2013.2記)

昨日参加した学びの場で
たくさんの心に響くメッセージを受け取りました。

そのなかのひとつ。

子どもが成長していく過程で

いかに豊かな枝葉をつけるかが大事かということ。


今の世の中、効率的なことばかりを考えて

無駄を削り、最短の道を歩むのがいいと考えてしまう傾向があります。

むろん、ビジネスの現場ではそうなのかもしれませんが

子育ての場面において、それはNGです。

焦ってはいけません。
焦らせてもいけません。


一見無駄に見えることがどんなに大切か?

知識だけでは生きていけないのです。

自分で体験したこと、感じたことが、すべての確かなベースになるのです。


教育の現場にいるとよく出会うパターン。


お子さんが優秀なので、更に先を求めて
うちの子どもはもっとできる、もっと上を、と際限知らずのお母様。

子どもはお母さんに認められたくてがんばります。

でもそのうちに息切して、表情も暗くなり、まったく楽しそうには見えません。

そして(天才児をのぞいて?)繰り返し学ぶことを避けて一直線に駆け上がっていった多くの場合、
うわべだけをすくった学習になるため、前にやったことを忘れてしまう。

記録は打ち立てても、果たしてどんな力がついたのか??

というケースも往々にしてあるのです。



そんなに多くを求めないで。

先ばかりを見ないで、今この時を見て認めてあげてほしいのです。

今できていることを十分ほめてあげて、

その子のペースにあった、ちょうどいい進め方で学習ができる時、

頭だけでなく体も心も納得して、充実した学習体験ができます。

自分でわかった、できた、ここはもうばっちりって、自信を持てるのです。



目に見えることだけが成長ではない。

まっすぐ一直線に伸びることだけを目指してはいけないのです。

勉強だけじゃなく、たくさんの実体験を積み重ね

いいことも悪いことも知識ではなく経験として学び

心の底から楽しんだり、悔しがったり、泣いたり、怒ったりも

ちゃんと体験していってこそ

豊かな枝葉がついた、立派な木に成長していけるのだと思います。


安全な道ばかり選んで、親がコントロールした人生を歩み、

横道には一度もそれずに歩いて行ったとしたら

どんな大人になるのでしょう。

それは誰の人生を歩んでいるのでしょう?


子育ては効率を意識してはいけません。

いかに豊かな枝葉をつけていけるかを考えたいですね。

豊かな枝葉はその子の自信につながります。



miwako

 

魂の望むこと(2013.2記)

「いつやるの??」

「今でしょう」

某予備校の先生がCMでおっしゃっていますね。


これは人生においても言えているなぁ とつくづく思います。


心の隅に追いやっている問題点は、確かに 先延ばしにしていても

いつかは取り組まなければなりません。

いつかは向き合わざるえなくなる時がきます。


でしたら、気づいたその時にきちんと解決した方がいい。


何故なら、隅に追いやり、
それに気づかないふりをして問題から逃げていると、

「この程度では、クリアすべき課題にまだまだ気づかないのだな」

と、更に大きな課題(自分にとっての困った問題勃発)を
与えられるからです。




一旦逃げて 一瞬楽になっても、またすぐに次の問題に見舞われます。

たとえ問題の相手は違っても、出来事は変わっても

ひも解いてみると至って簡単!

実は、
問題の根っこはいつも自分自身の一つの所から起こっていること
なのです。

ですから、繰り返し同じようなマイナス感情や思いに見舞われる方は

その根っこをちゃんと見て取り組んでいかなければ、

苦しみからは解放されないのです。




「今の状況が苦しい」「辛い」とおっしゃっていらしても

問題が自分自身の深い所から派生している・・・

という段になると とたんに心を閉ざし、

全く違う側面へと話を誘導しようとしてしまう方も少なくありません。


そんな方は悲しいかな、どこを訪れても、

誰に救いを求めても(答えは自分の中にありますものね)

結局はなんの解決にも至らず、只周りに対する不信感を強め

更に頑なになるといった悪循環を生じさせます。


そうして もっともっと奥底にと閉じ込められた問題は悪露となり
その人自身をまた苦しめます。


かたや、その時痛くとも、本当に苦しくとも

キチンと自分の問題と向き合い、自分なりに真摯に対処していく人は

その問題が解決した時 目を見張るほど人としての成長を遂げ、

自分の人生を自信を持って生き生きと歩まれて行きます。


最近では、ケアエクササイズに継続して来れる方々の中にも
本当に真摯に自身と向き合い、
そのように素晴らしい変貌を遂げている方々が増えてきています。

その人の魂の、とても崇高な部分を見せて頂いているようで

そして、その人を通して人間の本質をも見せて頂いているようで

傍らにご一緒させて頂けることが とても有難いです。



ワタクシが最も尊敬し、敬愛して止まない
エリザベス・キューブラー・ロス博士も語っています。


命の唯一の目的は、成長することにある。

究極の学びは、無条件に愛し 愛されることにある。


自分自身を愛することができずに、どうして人を愛することができるのか。

自分自身を信じることができずに、どうして人を信じることができるのか。


だからこそ、まずは自分自身のことから始めなくては




みてても、いい?(2013.2記)

「みてても、いい?」

絵本の題名です。

ひとりぼっちのきつねとそんなきつねをみているうさぎちゃんの

心温まるお話です。


本の帯に・・・・


きつね「だれかが、みててくれるってわくわくするんだな!」


しらなかったよ


うさぎ「だれかを、みていたいのってうきうきするんだね!」



みててほしいって思います。


だんなさまやおくさまやお友達、
ご両親でもお子さんでも

誰かがみててくれると

勇気と力が沸いてきます。


自分も大切な人たちのこと

ずっとみていたいです。


寒い日、心が温まるものも必要ですね。



みてても、いい?


みてても、いいよ




michi

 

決めつけない(2013.2記)

時々子どもに怒られます。

「決めつけないで」って。

きっとこうに違いないって思ったことを言ってしまう。

親子だから、あまり気兼ねもなく。

子どもからそういわれて、あぁまたやっちゃったと反省。

ついつい自分の感じたことが正しいと思いがちだけれど

そんな根拠はどこにもないのですよね。

もしかしたら図星だったのかもしれないし(しつこいですねー笑)

本当の思いは違うところにあるかもしれない。

真相はわからない。

でも、一方的に決めつけて言うのはよそうと

ここ数年心がけています。




決めつけるってこわいことですよね。

そこで限界をつきつけているような。

他の可能性を否定しているような。



この子はこういうキャラだからとか

私はこういう人だからと

決めつけてしまうと、

もしかするとそれにだんだん慣れていって

そこから抜け出せなくなるのかも。


時々見かけます。

本当はきちんとできる力があるのに

まわりのいつもの評価に応えるかのように

自分のおふざけキャラを演じ続けたり、いい加減な態度をとってしまう子。


大人でもいますよね。

私はこういう人だからと、マイナス面を知りながらなかなか直せない人。


いつもの自分、

それが安心なのかも。

これもkimiko先生が先日おっしゃっていた「人生脚本」なのかもしれません。



よりよい自分になりたいなら、自分にレッテルを貼らない。

よりよい子育てをしたいなら、子どもにもレッテルを貼らない。


決めつけることで、どんなに可能性をつぶしているか。


可能性のない人なんて一人もいない。

一歩踏み出せば道は続いていくのです。


「決めつけない」ことで、もっと自由に羽ばたけるのでしょうね。

そう、いくつになってもです!



miwako


 

人生脚本(2013.2記)

子どもが2.3歳になると、
親しくなったママ友と子ども連れでみんなで遊ぶようになってきますね。

その集まりの時に、Aちゃんのママはいつもとても厳しくて
Aちゃんばかり我慢させられたり、
感情を出すことを「ダメ」と叱られているとします。

ですので、その子はよくぐずったり泣いてしまったりする。

そんな状態では、周りの子ともご機嫌で楽しく とはなかなか遊べない。

それを不安に思うママがまた口を出す。


その子の感情・思いを、
一番身近な人がいつも無視し、強い調子で怒っている。

その子は大事にされていない・・・。


恐いのは、それをいつも傍で見ているBちゃんやCちゃんDちゃんが

「この子はそういう扱いをしてもいいんだ」

と、学んでしまうこともあるということです。


一番守るべき存在の人こそが 

その子を傷つけている光景をいつも見させられていると

深く考察することなどまだまだできない2.3歳の子は単純に、本当に単純に

「この子にはいじわるを言ってもいいんだ」と思ってしまうのです。

そうしていじめられてしまう子も少なくありません。


15年間様々な年齢の子ども達と関わってきて、
往々に目にしてきた光景です。


そしてもっと恐いことは、その子自身が

「自分はぞんざいに扱われても仕方のない人間」

という人生脚本(交流分析で言うところの)を作り上げてしまうことなんです。


自分自身でそう決めてしまうと

ぞんざいに扱われることを表層意識では

「辛い」「苦しい」「悲しい」と思っていても

深層ではむしろ

「その状態こそ当たり前だ。
だって自分はそうされても仕方のない人間なんだから」

という定義を強固に持ってしまいます。


けれども本人は人生の中でいつも、大人になってまでも

「何故こんなにも苦しむのか分からない」

と、根本の原因になかなか気づけないのです。



周りにもいないでしょうか?

いつも「辛い」と苦しみながら、決してそこから離れようとしない人。

人生で大きな選択を迫られる時、
何故かどう考えてもマズイ方ばかり選び、後悔ばかりしている人。

一度ならずも、何度も何度も同じ失敗を繰り返してしまう人。



もし大人になった貴方がそんな自分自身に気づいたとしたら・・・


人生脚本の書き換えは、できます!!


恐れず自身の深い所を見

他者から与えられた『自分の人生の歩み方』に決別し(大変な作業ですが)

自身で『本当の自分の人生を歩む』と決めた時から、

新たな、自分による自分自身の人生の構築が始まります。


そして、そのことに気づいた大人である私達、親である私達にできることは・・・

自己肯定感を持てず、自分を大切に思えないような子どもを

つくり出さないことです。



先のママ友の中に、一人でもすかさずAちゃんを庇い、
ママの気持ちも楽になれるように話せるお友達がいたなら。


パパがママの事を緩めてあげられ、
Aちゃんの事をとても愛するパパがいたなら。


愚痴を言い合いつつ、でも自分達や子ども達がより良く成ることを
痛くとも、きちんと伝え合うことができる真の友達がいたなら。


そんなことでAちゃんの歩む道は、全く違ったものになることでしょう。


願わくば、本当は愛して止まない我が子に

いつもイライラして、しつけと称して辛く当たってしまうママの人生脚本が

「家族っていいもの。自分はそこで必要とされ、愛されている」

というものに変わり、毎日を楽しく過ごせますように。




kimiko

 

 

身の丈にあうように・・・(2013.2記)

長男が生まれてすぐに今の家に引っ越しました。

新生活の夢が膨らみ、
あれやこれやと生活道具を買っていきました。

今思えば、誕生の喜びや、新居の喜びで 
地に足がついていなかったのかもしれません。

始まった新生活は、いつもどこか しっくりこない感じがしていました。



あれから10年以上が過ぎ、

どうして 家がすっきりと心地よい空間になっていかないのだろう。

と夫婦で話し合ったとき、

新生活を始めるにあたって手に入れたものが、

今の生活サイズに あっていない 

ということに、向かい合わなくては いけなくなりました。


夢を描いて、ちょっと背伸びして手に入れた
まだまだ使えるものを ずっと手放せずにいました。

それが サイズ的にあってないってわかっていたのに。


でも、とうとうそれを 手放そう! と

昨日 話し合って結論をだしました。


そしたら、なんだか 心が明るく 軽く感じるんです。


もったいない 手放したくない という執着もあるのですが、

それよりも、プラスに感じられることの方が多くて。


その時にふっと主人がいったのは、

「とっても いいものだけど、部屋の大きさに あっていなかったね」


本当にそうです。

そして そこからまた 色々自分の頭の中でいろんな思いが錯綜しました。


そっか、身の丈に合わせた生活 って 快適なんだ!

それにはまず、身の丈をしらないと!


そして、仕事もそうだを思いいたりました。

自分をしって、自分の身の丈にあったやり方を していくのが

結局無理をして導入したものより、快適な 私らしいものになるんだ。


さまざまのことを学び、それを自分の養分として取り入れながら

かつ、

自分の身の丈にあったことをしていく。


とっても大事なことだな と 1人 納得しつつ

そういうことをちゃんと話しあえるパートナーに感謝しました。



youko