絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

November 2015

エネルギー(2013.11記)

1+1=2じゃなくて、力をあわせればそれ以上のものとなる。

そんな言葉をよく聞いてきました。


学生時代の行事、

クラスがひとつになってものすごく充実感を味わったことや

吹奏楽のコンクール本番で

みんなの気持ちがただただ同じ方向に向かって

涙があふれてきそうなくらい一体感と高揚感に満ちたこと。


目には見えない強烈なエネルギーが

ぐるぐるとまわって上昇気流のようになっていたんだと

今振り返ると思います。



絵画セラピーやケアエクサも

プラスの波動で満ちることがあり

そんな時は空気が浄化されるのを感じます。

心がひとつになったとき?

いや、あまりきれいごとでまとめたくはない。


ひとつになろう、とよく言うけれど

何かにあわせるのではなく、それぞれが自分の足で立って

目指すものをきちんと見つめ、本当に心からそれを求めた時、

そして自分を信じるように仲間を信じられた時、

エネルギーが勝手に大きく回りだすのだと思います。



目に見えるものではないけれど

確かに感じるもの。


今日は一日、プラスのエネルギーに満たされ、充電された気分です。


ご一緒してくださった皆様、ありがとうございます♪

miwako
 

経験を自身の血肉にするには(2013.11記)

何か一つの事を形にしようと、いろいろな人が関わる時・・・


強制されて訳もなく
自分で「やるんだ!」決めてその場に臨んでいたとしても

―私ってホントにダメなの~。自信なーーい。

ーナニ言ってるの??そんなこと言ったら私なんて~
  この前もね、余りに抜けちゃってて

―やっだ~~

と、いかに自分はだめなのか、
笑いに変えながら話に花を咲かせてしまう人がいます。



でもね

そこには真剣にそこに居て、全体のゴールを見定め

どうしたらみんなにとってより良いものができあがるのか・・・


自分の感情よりも、そこを見定めて動く人もいます。


きっとその人だって、初めてのことに不安もとまどいもあるでしょう。

でも、そんなことを 今 言っても

この状況にとっては何にもならないことを知っているんです。



それよりも、

今何を成すべきか

もっともっと、その場の波動を研ぎ澄ませて良いものにしたい

と思っている事がよくわかります。



自分の不安をしゃべり、
そこで同じように共感してくれる仲間がいると安心するのかな。


できないことを先に宣言することで、
失敗した時に「しょうがないよね」って、周りにも 自分にも許して欲しいのかな。


「謙遜が美徳」って思っているのかな。



もしそうなら・・・

その経験は、きっと自分の血肉にはなりません。


もし、うまくいったとしても『自信』として自分の中に残らないでしょう。
「ラッキー!」って思ってしまうんじゃないかしら。


もし、失敗してもその原因を探ることはしないでしょう。
きっと「やっぱりダメなのよね~」と
笑いに変えてごまかしてしまうんじゃないかしら。



成功も失敗も、その経験が自分の血肉になるのは

目の前にあるミッションに どれだけ真摯に向き合うことができるか

それにかかっています。



―自分自身が選択したことに、真摯に真剣に取り組んでいるか

―その姿勢が、周りにどう影響を与えているか


そんなことを内省するヒトトキは、貴重です。


kimiko

 

「頑張れ」を封印?(2013.11記)

何かに取り組むときや応援するとき

「がんばって!」と

声がけをすることありますよね。


娘の持久走大会が迫ってきました。

眠い目をこすりながら朝練もしていました。

頑張っていること

見ているだけで伝わってきます。


おじいちゃん、おばあちゃん、おにいちゃんで

応援の話をしました。

「『頑張れ~』って応援するからね~」


そうしたら

「頑張っている人に頑張れって言う必要はない!」と

上のおにいちゃん。


「本当にそれはいらない」と

下のおにいちゃん。


じゃあどんな言葉で応援するの?

「行け!行け!」 「いいよ!いいぞ!」

それだけでいいと・・・


頑張っている人が、頑張ってきた分の力を

出し切れるように応援したいから

「頑張れ~」を封印。


さて、応援に行ってきます。


terumi

ダイジョウブ(2013.11記)

先日のケアエクサの中で、

過去の自分と会いました。


始めは、背中しかみえなかったけど、


最後は笑っていました。


でも、声にならない、何かを一生懸命伝えようとしていました。

その声は・・・・



《頑張っているの!!》


と言っていた・・・



ような感じがしました。



現実のワタシも、


そのコトバを言いたかった??


そうなのかもしれません。


今、

無理をして、頑張っていたのかもしれない


と感じました。



だから、ジブンをジブンで大事に想います。


「頑張っているね。大丈夫だよ。」






そんな・・・・


大切なことを


改めて感じたケアエクサでした。


michi

バランス(2013.11記)

何かのせいにするのは簡単

人のせい、環境のせい、

私はひとつも悪くない。


かといって

なんでも自分が悪いんじゃないかと自分を痛めつけるのも

実は安易なことなのかも。


自分が誠意を尽くして精一杯やったと思えるなら

運がなかったとあきらめよう

縁がなかったと思うのもいい

自分自身に偽りがないのなら。

それを胸を張って言えるなら。


冷静に客観視はできているだろうか?

自分のことだけでなく、周りのことまで。


自分の考え方の癖に気づき

行動の傾向に気づき

それがいいか悪いかは別にして

俯瞰で見つめることができるのか?


そこなんだろうなぁ。


誰もが完璧ではないけれど

そこを意識しているかどうかは大きく違う。


そして自分の本当の思いも置き去りにせずに

バランス良く客観視ができること。


それが大切だと思う今日この頃です。

難しいよね、

でもそれを目指したいな!


miwako

かさぶた(2013.11記)

そりゃあ、

楽しいことも うれしいことも

たくさんたくさんあるけれど・・・・


生きてきた中で

誰しもたくさん傷ついたり、悲しい思いや辛い思いもしてきたでしょ?



ある人は、その傷はなかったことにして、自分の表層意識からは抹殺。

でも、確かに奥底に傷はあった。
そして今ではすっかり風化して、それはかさぶたになっている。


ある人は、傷が痛くて辛くって、奥底にしまって決して触らないように。

そして、もうすっかり傷は癒えている と決めている。
でもそれは、かさぶたとして奥底にへばり付いている。


「そう!これは頑張って生きてきた私の勲章!

無いものにすることも、触らないように目を背けることもしなくていい。

醜いかさぶたでも、私の大切な一部なんだ」


その傷の事を思って、かさぶたの存在をしっかりと見て

そう受け入れることができたら・・・・



いとも簡単にかさぶたはポロリと落ちて、

そこには新生した綺麗な皮膚があるかもしれないじゃない??



でも・・・
本当に怖くって、それに着手できない人もいます。

本当に辛くって、思い出したくない人もいます。

プライドが邪魔をして、傷ついた自分を認めたくない人もいます。


それは決して悪いことでも、いけないことでもありません。


「ごまかしている自分を、自分が一番知っている」

ただ、それだけのことです。



でも、ただ、それだけのことで

心から満足できない方達を、大勢見てきました。


それはとても残念なことです。



今、私の近くには
そのかさぶたを、自分の手ではぎ取っている方がいます。

もしかしたら、傷は癒えていないかもしれない。
もしかしたら、血が噴き出すかもしれない。


それでも、真っ正直に向き合うと自分で決めた事に

真摯に決して目を逸らさず

かさぶたを剥いでいっています。



傍に居てできることは・・・

「痛いって言っても、いいんだよーーっ」

って、伝えること。

「そりゃ、辛いよね・・・」

って、その人の辛さを本気で思えること。

そして、まだ治りかけの皮膚があったら、しっかり治るまで、一緒に見守ること。



そして そして

そこに綺麗な皮膚があったなら、

その人と一緒に大喜びすること!!! \(>▽<)/


そんな思いでいる人が傍にいるってこと・・・
それで少しでもホッとできたらうれしいです。




その方の、その真剣に生きる姿勢に
私自身、身の引き締まる思いがしている今日この頃です。


kimiko
 

がんばっているんだけれどね~(2013.11記)

お母さんもがんばってるんだけどね~

子ども達もがんばってるんだけどね~


お互い、欲しいものを 別の形で差し出されてるから、

もらっているものに、気がつけないんだろうね。


どっちも、わかるんだよなぁ。

みんな、がんばれ~。


気持ちが苦しくなちゃったら、

吐き出す方法を考えようか。


愚痴を言う。。。のもいいけど、聞いてる方はどうかな?


それより、どうしようもないけど、どうにかしたい!なら、

書いてみたら、どうかな。

ひたすら愚痴を書いてもいいけど、

お勧めは、自分の気持ちを分析していくこと。

ひたすら、なんで? と自問して、

こうだから、って答えていく。

そうすると、問題の根本は 単純な一つのことだったりする

そこまで行くと、気持ちが随分 楽になる。


体を動かすものお勧め!

体を動かさないことでたまっていくエネルギーが、

暴走してしまうことも、あると思うんだよね。


大人なんて、みんないなくなればいいのに

あ、でも先生は ちがうけどね


って、子どもに言われて、喜んでいいのやら、悲しい気持ちのままでいいのやら。

そこまで言いたくなるほど、大人に押さえつけられているのかと思うと、悲しくなる。


みんな 根本の気持ちは愛情だったりするんだけどね~

大人から子どもへ

子どもから、大人へ


片思いが 残念だよね。

求めているものは、同じかもしれないのにね。



youko