絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

June 2016

私的転換点

何気ない日常が続く中の

ありきたりな1日である昨日。

そこが私の転換点でした。


ずっと、自分の中の気持ちに

違和感を感じていました。

ごく普通に、どちらかというと

前向きに生きているのに、

時折 襲う 自滅願望。

自分の中に

違う自分でも居るんじゃないか

って思うぐらい、

振り幅の大きい思いにとらわれることがありました。

また、学生時代から人間関係で

同じ失敗を繰り返し、

やっと抜け出したのは最近で、

それも、超えたのではなく

避けてるだけ、という自覚していました。

そんな中、

きみ先生に改めて伝えられた

本当はなにが欲しくて

なにがいやで

なにが辛かったの?

の問いかけ。

直感的に、向き合うときは今、

と、その後、日常生活の中で

自分の感覚を確認しながら

しばらく過ごしていました。


そして、転換点となる昨日。

思ったことを、

書いて伝えてみました。

すると、書くことでどんどん整理される気持ち

それに対する、温かい思いのこもったコメント

から、一気に、自分の中の芯が

クリアになりました!

すると、自分の中の違和感が、綺麗に統合され

あれもこれも、そういうことだったのかぁ

と思い、いろんなことが雲が晴れるように

クリアになったんです!

子どものための絵画セラピーに

長男が参加して、

子どもが問題なんじゃなく

自分が変わらなくちゃ先に進めない

って思ってから、

ケアエクサに参加して。

月に一回は参加したほうがいい、と

アドバイスを受け、

いろんな時があってもなんとか通い

5年が過ぎました。

長いのか、短いのかはわかりませんが

私としては

自力でたどり着けた

ことに、ものすごい価値を感じます。

また、これは1人ではできなかった。

自分と向き合うって

いい自分も見たくない自分も

両方見ていかなくちゃいけない。

それってシンドイ。

でも、なにを見せても受け入れてくれ

見守ってくれた先生と仲間がいたから、

ここまでこれたんだな、と思います。

でも、

ここは目的地ではないです。

この、クリアになった自分で

しっかり生きていくこと

行動することが大切、と感じます。

でもでも、

とりあえず、

最初の目的地にたどり着けて

爽快感を味わっています。

自分の中の真理。

本当に見つけられて良かった!

youko


正しい答えなんて いらない(2014.1記)

昨年の市民祭の後、
ナント8名もの子ども達が入会したダンスクラブ。

しかも幼稚園生3名、一年生4名(もう一人は中学年ですが)
というちびっこ軍団です。

可愛くって、もうメロメロですぅ


このダンスクラブの素晴らしい特徴は

高学年が低学年の面倒を本当によくみること。

自分が小さい時に先輩のお姉ちゃんにやってもらって嬉しかったことを

今度は自然に下の子達にやってあげています。

ですから学校生活においても、一緒に遊んだり、声を掛け合ったりする。

代々そういったことが継承されていっており

その仲の良さにお母さん達もいつも驚いています。



ですが・・・
先日のレッスンではとても残念なことがありました。


レッスンの最後に3チームに分かれ、
その日振り付けたダンスをチームごとに披露します。

それを見ている子ども達は、遠慮なく感想を伝えます。


そんな中、あるチームの出番となった時
慣れているはずの子ども達が自信がなかったからなのか
サッと後ろの方に下がってしまいました。

前に残ったのは入ったばかりのちびっこ達と、一番年上の6年生のみ。

どうするのか見ていると、2回目にさすがに6年生が注意し
しぶしぶ前に来て踊ったのですが・・・。


「まだ慣れていない、お手本がいなければ
できない年下の子達をほっぽらかして
自分に自信がないからと その場からサッサと
逃げるという行動を取るなんて、先生はとても悲しい。
あなた達が低学年の時は、
いつもお姉ちゃん達がサポートしてくれていたはずだよね。

○○ちゃん(6年生)にも注意されていたけれど
その行動について、今どう思っているの??」

と聞いたところ、一様に

「本当は自分達が前で見本となってやるべきなのに

それをしないのは間違った事だったと思う。

今度からは、ちゃんと小さい子のお手本となるようにしなければと思います。」

と素晴らしく 正しい答えを言ってくれました。


ですが私は

「正しい答えを求めているんでも、聞きたいんでもない。

今、それを言われて、どう思ったのか?どう感じているのか?

あなた達のその気持ちを教えて欲しいんだよ。」


でも
なかなか<気持ち>が出てきません。

意味がわからず困ってしまう子がいたり
また同じように、正しい答えを繰り返してみたり・・・


待ってみると、
一人の子が顔を赤くし涙目になりながら

「(自分が)恥ずかしい。…」

と言いました。

「そうかぁ、今 そう感じているんだね。

その気持ちを大事にしたら、きっと同じことは繰り返さないよ。」

と伝えました。

その子は真剣な面持ちでうなずきました。



こんなに小さな頃から、
自分の気持ちを手にとって感じることをしないんだなあ

と驚かされました。


一番まっとうである答え

誰からも非難されないであろう答え

大人が安心するであろう答え

を準備してしまっている。


心は感じていない。
否、感じていても見ないようにしておく。


こんな繰り返し・積み重ねが、

感情を味わえない

味わう方法がわからない

感じるのが怖い

大人を造り上げてしまうのではないかな 
と思った出来事でした。


小さな頃から、もっと内から湧き出る思いをしっかりと感じて
辛くとも恥ずかしくとも そこを、それを大事にしていったなら・・・


味わったことは容易には忘れはしないからこそ

同じ過ちは繰り返さないのです。


形ばかり綺麗に整えても

自分の内側には響いていない・・・

だから同じ事象を繰り返すのです。




「ホント、先生怒ると鬼だ――っ」

と言われようと、

これからも、子ども達と本気で関わっていきます!


kimiko


熱いんだけど、熱くは言えないよね(2014.1記)

学生の頃、
血が熱いよね

って言われて、そうなの?みんなはちがうの?

って、思って。

社会人になってからも、
同期や、上司から

熱くなりすぎると、辛くなるよ
仕事ってわりきれ

って言われ。

熱いって、怒りっぽいってことなのか
反省してみたり。

でも、年を重ねて、
熱くなるって、損することが多いなって
思うようになり、
割りと人からは
穏やかだね
と言われるようになってきて。

今、本当は 教室にきている子ども達に
伝えたいこと、たくさんあります。

保護者の方へのメッセージ、たくさんあります。

でも、
それは、熱い思いの押し付けにしかならない
そう思うから、

欲しい分だけを、とっていってね

って思う。

あなたのことをきにかけているの。

あなたへと、心を配っているの。

そんなことを思いながら、話せば
接すれば

きっと何がしかの欠片は届くでしょう。

それで十分って、満足しなくちゃね。


こうやって文を書いて発信する時にも

心を込めています。

ブログを読んでくださっている方にも

ちょっとしたエネルギーが、伝わって
少しぽっと温かいものが伝わったら

とっても嬉しいです(o^^o)



youko

わかって嬉しい♪ 知って楽しい♪(2014.1)

東野圭吾さまの
『祈りの幕が下りる時』を読み終えたので
(またまたうなってしまうほどの、深い話でした!)
「さあ、次は何読もうかな~」と。


買ってあった
『神社の謎』を読み始めました。

神社の歴史や、作法が細かく詳しく書かれています。

キャッチコピーが
<意外に知らない>
というものですが、まさしく驚いた事がありました。

そしてとても温かい気持ちになりました。

それは・・・


みなさん、近しい人が亡くなった後、忌中という期間には
神社仏閣の参拝を控えますよね?

また前の年に亡くなった方がいたりすると初詣を控えたり・・・。


私も父が亡くなった時など
「身が穢れているので、それで神仏の前に出向いてはいけない」
と聞いていました。

でも私は
「穢れて・・・ないよねぇ。死って穢れではないよねぇ」
と思いましたし、
「もし、神様もそれを穢れとしているなら、悲しいことだなあ」
と思いました。


この本にはそのことが書かれており・・・

穢れているから、詣でてはいけない

のではなく、全く逆の意味でした。


喪に服す
忌に服す

忌中
これは家族であれば、50日間と言われています。

己の心の中と向き合う期間…

出歩いたり、人と会ったりせず
静かに家で過ごすこととするのは

その50日は、故人の御霊にだけ 仕えるように

という意味なのだそうです。


穢れ
などではなく

むしろ故人を、最も大切に慈しむ時間を持ちましょう

という為の習わしだったのですね。


そんな風習、温かいです。



知らないこと
間違えて伝わっていること

意外にたくさんあるものですね。

好きなこと
興味のあること

知識が増えていくことは、とてもわくわくします。


kimiko

日々の振り返り していますか?(2014.1記)

ケアエクサ(正式には「心と体のケアエクササイズ」)では
ワークの一部として、近況報告をしあうことがあります。

日々感じること、嬉しかったこと、驚いたこと、
辛かったこと、疑問に思ったこと、
家族のこと、仕事のことなど様々です。

始めた当初は、もっとインパクトの強い?ワークや
新しいものに興味がひかれていたので

えー?どうして近況報告なの?なんて感じたこともありました。

なんだか地味な気がして。(笑)


今思うと、自分を振り返ることに慣れていなかった、
ということもあったかも。


忙しい日々を送っていると、毎日が流されていきますよね。
時々たちどまって、自分を振り返る。
今はこの作業が自然なこととなり、大切なことのひとつです。


信頼できる場で、自分の思いを語ること。
しゃべりながら、自分で自分の気持ちを整理していることもあります。

ふと、「気づき」がおりてくることもあります。

より明確に問題点がみえたり
別の角度からの意見をもらえたりして
客観視がすすみ、思いを深めていくことができます。

時に励まされたり、一緒に喜んでもらえたり、
哀しみや怒りを共有してもらえたり。

また日々のちょっとしたことに、
実はその人の考え方や行動のくせが表れていることも。

訳が分からないけど、違和感を覚えたことなども
話しているうちに理由がわかったり。

そこに気づくと、また新しい展開が待っていたり。

始めたころは、表層しか見ていない、聞いていない状態だったので
近況報告と言われてもなぁ~と
挨拶代りくらいにしか感じられていなかったのですが!


考えてみると、まじめな作業ですよね。
でもそれは、自分の感情を丁寧に大事に
扱っていることにもつながっています。

自分の事ばかりでなく、他の方々からも
学ぶことが沢山あります。
それぞれが毎日を一生懸命生きていることも実感します。


人は大人になるほど
手っ取り早く満足することを求め
インパクトの大きいものに魅かれ、
日々の感情はとりたててみることもせず、
ただただ流してしまい
それを十分味わう作業をしなくなるのでしょう。

日常の、ふだんの自分が充実していくことが
本当は一番なのですけれど
それを見ている人はどのくらいいるのでしょう。

そういえば子どもの頃は
行事の度に作文を書かされていた?
書くことで全体を振り返り、
もう一度その時の感情を味わい、
自分の中で深めていく効果があったのかも。


私もケアエクサがなかったら
もっともっと仕事や家事に追われ
自分を見失っていたかもしれません。

自分の感情を一番後回しにしていたかもしれません。
(そういうお母さん、多いですよね! 要注意!)


***


ケアエクサに興味をお持ちいただいている方々。

どうかインパクトは求めずに。
淡々と向かい合っていくことで
その先に見えてくるものがたくさんあります。

そしてそれは手っ取り早さを求めている人には
手に入れることができないものなのです。
誰かが教えてくれるわけではなく
自分で気づくものだから。

時々立ち止まって、振り返る。
ぜひ、この作業をやってみてくださいね。


よろしければケアエクサにどうぞご参加ください。
そしてわけがわからなくても
淡々と習慣のように続けてみてくださいね。


Miwako

変身?変心?(2014.1記)

ケアエクサを長く続けてきて、
去年、確かに自分が変わったと

心から納得してから、

なんと、過去も変わってきています。

あったことは変わらなくても

それを受けとめる心が変わると

今までとは、違うようにみえてくる

そんな不思議を味わっています。

確執や、苦手と感じていた人間関係も

それがもたらすものを、経験として捉えることができ

それは必要なプロセスだったと思うと

今までとは違う感謝も親近感も

湧いてきます。


とはいえ、

基本の自分は変わらないので

相変わらず、怠惰で、好き嫌いは激しいのですが

それも気に入っているから、良しとしましょう。

でも、
何かが深く変わったので

いつもリラックスした気持ちでいることや

正直でいることが、

楽にできるようになってきています。

真面目で、いい人ほど

生きづらい世界なのは、

大人も 子どもも同じかもしれません。

自分がリラックスして相手と対することで

相手の人もリラックスできる…

そうなりたい、と思っています。



youko
 

<育自>しよーっ!!(2013.12記)

お話をさせて頂いている中で、
時々 「へ???」 と思う場面があります。


―うちの子は神経質な所があるので、
こういったことは大丈夫かなぁと心配なんですよね。

「そうですか・・・。で、お子さんはそのことを心配しているの?」

―いえ、子どもは「楽しみ♪」と言っているんですけれど・・・。
  後で辛い思いをするんじゃないかと思うし・・・。


それ、もしかしたら

お母さんが不安なだけではないかな??



―遊んでいるのを見ていると、強い子がいて、いつも脇役っていうか
  つまらない役ばかり押し付けられても何も言えない子なんです。

「そうですか・・・。で、お子さんは無理やりやらされて、
本当は嫌だと言っているの?」

―いえ、「なんで?楽しいよ」って言うんですよ。
  だから我慢しているんじゃないか、
  ママには本当の事を言ってもいいんだよ
  って伝えるんですが・・・。


それ、もしかしたらその場面を見て

お母さんが悲しい・悔しいだけなのではないかな??



ご自分の感じた 感情を

あたかも子ども自身が感じている感情だ と

思ってしまっているお母さん・・・多いです。




一番恐いのは

<あなたを思って、心配して言っているのよ>

を隠れ蓑に、なんとも思っていない小さな子に上記のような事を言い続けると

「お母さんが一番好き!」な子ども達は、簡単に影響されてしまうということです。


傍らに居るお母さんから、いつも発せられる言葉に

どんどん洗脳されてしまう子は少なくありません。



ですから前者の子でしたら

―そうだよね。わたしは神経質だから、冒険しちゃいけないよね。
  いろいろな事に用心して傷つかないように生きて行かなければ。

という信条を持ってしまうし


後者の子でしたら

―そうか。ママがあそこまで心配するってことは、
  ぼくは楽しい遊びって思ってたけど、
  あれはきっとぼくをいじめてるんだ。
  大人から見たら○○ちゃんは悪い子なんだな。

と思ってしまうかもしれません。



優しくて受け入れ型の子どもは、性格形成において

上記のように刷り込まれてしまうこと、多いです。



逆に、エネルギーが高く、外に向かって行く型の子は

そんなお母さんの決めつけには反発してくるので

上記のようなお母さんだと

「手に負えない!」 「うちの子は宇宙人!」 となります。




ですから、今盛んに言われているように

<子どもの頃からおとなしくて、なんでも言うことを聞くいい子>

よりも

<自分の感情の支配を誰にもされないように、反発する子>

の方が、長い目で見ると、安心なのです。



もし、あなたが

「あっ!私もそういうところあるかも・・・」

と思ったなら、いいチャンスです!

それは本当に子ども自身が思っていることなのか?

それとも、実は自分自身の感情なのか?


を俯瞰して見るようになさってください。


そうして もし

「これって、私の感情じゃーーん」

って気付いたなら、いいチャンスです!

子ども自身は楽しんでいるのに、どうしてマイナスに受け取ってしまうのか?

内省してみてください。

そこには必ずあなた自身にとっての答えが見えてきます。



だからこそ、<育児は育自>というんですね。


「育児を通して、この子から教えられた。感謝。」

そんなふうに思えたなら、素敵です。


kimiko