絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

こころ

自分の枠を越えるとき

年明けから、モニター企画にご参加いただきありがとうございます。

私たちにとっても、実践から学ぶことはとても多く、

ご協力に感謝しております。



セラピーを学ぶ

ということは、相手をしり、かつ、自分を知ることにつながります。

相手に対する思いを通して、

そう思う自分を再確認していくからです。

そうして学んでいくと、ある時に ふっと気が付くのです。

「この枠は、だれが私にはめたんだろう」 と。

そこからは、いろんな経験から自分を作るため、守るために

知らず知らずに作っていた 「自分の枠」 から

自分の力で出るために、あがいて、もがいて。

でも、そのうちに やはり ふっと気が付くのです。

「あ、枠が広がっている」 と。

そして、広げる、越える作業は 実は一人では難しい。

他者とのかかわりの中で、積み重なっていくことが溜まって

枠を押し広げていくのです。

いま、きっと私以外の仲間も、「枠を越えた自分」を

感じ始めているところだと思います。

そして、それぞれにより確かな思いを新たにしています。

同じ仲間の目線からみても、

それは とても輝いて見えています。

youko

隠れていた思い

先日、友人宅でのことでした。

おしゃべりに夢中になっていたら
途中でわんちゃんが登場~
すごくかわいくて、甘えん坊。
みんなに、ぴょんっと足をかけて
抱っこしてもらいたそうにしています。

そのわんちゃんが、私のもとに来たとき、
なでなでして、さぁ、抱っこしようかと
身体が動いた瞬間、

心がぎゅっと締め付けられて
「あ、だっこはできないかも…」と、
泣きそうになってしまったのでした。

我が家の愛犬、コーギーが
13歳で亡くなってから、もう1年。
悲しくて悲しくて…という気持ちは
もう忘れていたはずでした。

それなのに、悲しい、切ないという感情が
一瞬にしてよみがえってきて
今、ほかのワンちゃんを抱っこしたら
涙がとまらなくなりそうで、
それをぐっと抑えたのでした。

抱っこできなくてごめんね。
なんか思い出しちゃって。

それを言うのが精いっぱい。

頭で考えることと
心が感じることのギャップの大きさに
とてもとても驚きました。

本当に、予想外のできごと。

でもね、そんな心に気づくことができて
愛犬への思いを再確認できて
暖かい気持ちにも包まれました。

別に、悲しい思いを
閉じ込めてきたわけではないけれど。
忘れようと特別に努力したわけじゃないけれど。

まだそんな気持ちが残っていた。
というか、悲しい気持ちは
ずっとずっともっていていいんだな。
だって悲しい出来事だったのだもの。
そんな単純なことに気づいたり。


人は大人になるほど
頭で考えて解釈をつけて
ものごとを解決していますよね。

高齢だったし、
治療方法もなかったし、
仕方なかったよね。
でも最後まで一緒にいられてよかった。
お見送りも家族そろったし。

そんなことを自分に言い聞かせていたけれど
「悲しい。寂しい。」という感情には
なんの説明もいらなかったんだなぁ。

悲しいよね。
それだけを自分が受け止めればいいんだなと
今さらながらに思いました。

感じたことをそのまま受け止める。
自分の思いを大事にする。
理由や説明はいらないですね。

今回のできごとでようやく
「悲しい」という思いだけを
シンプルに感じることができました。

この話を風に揺れる木々の勉強会でしていたら
またまた涙があふれてきて…

やっぱり忙しさに追われて
悲しい涙も流し切れていなかったのかな。

涙で浄化されたような気持ちです。

心って不思議ですね。


           

ほっこりハート

疲れて家に「ただいまー!」と帰った時、

1枚のお気に入りの絵が迎えてくれたら

なんだか心がふっとリラックスして

豊かな気持ちになるんですよ。

眺めていて、自分の気持ちが安らぐ絵を

1枚もっているといいですよ。


そんな風に教えてくれたのは

20代の時、何気なく訪れた出張画廊?のお姉さん。


絵画に詳しくなくたっていいんです。

これも出会いですからね。

あぁ、この絵がいいなぁと思ったら

それも良い出会いなんですよ。


もちろん、セールストークでもあったのですが

あまりにそのお姉さんの目がキラキラしていて

本当に絵画がお好きなんだなぁと

そのお姉さんの波動を心地よく受け取っていました。


で、まったく予定していなかったリトグラフを購入♪

シャガールのエルサレムウィンドウの1枚で

なかなか立派な額に入っています。

ずっとずっとお気に入りで

我が家のリビングには欠かせない存在です。



その後、再び素敵な作品に

予期せぬ場所とタイミングで巡り合い、

そちらも「出会いだなぁ」と思って

手に入れたことがありました。

とても小さな作品ですが、

「ヒカリフル」というタイトルがついている

こちらもリトグラフ。

すみっこにブルーのハートのモチーフが貼りつけてあり、

1枚1枚形が少しずつ違っているそうで

それがまた素敵だなぁと。




そして、先日…

久しぶりに、「わぁ、これ好き♪」と思ったのは

友人のパステル画。

たくさんあるハートのモチーフの中でも

もう、それ以外は目に入らないくらいで

すぐに手にとっておりました。


あったかくて、優しくて、大きな愛があって、

まさに気持ちが<ほっこり>します。


その日のうちに、額を探しにいきました!

この子にぴったりの額をさがそうと。

その日のうちに、額も見つかり、

その日のうちに、我が家を飾ってくれることとなりました。


「出会い」ってありますね。

なんだか波動がぴったり合う感じ?


音楽を聴いてリラックスするのも好きですが

1枚の絵を、じっと見つめて味わうのも

ものすごーく心のリラックスにつながります。





あの時の、画廊のお姉さんは

今頃何をされているのでしょうね?


素敵なアドバイスが今でも生きています。

ありがとうございました♡



miwako

直感を信じる

なんだか急に閃いたことって
結構良い結果を産んだりしますよね。

思いつきでやってみたら、ことのほかうまくいったり、
何かを練っているときに、あぁでもない、こうでもないと
試行錯誤していたら、急に何かが降りてきた~!と
ものすごく良いアイディアが浮かんだり。

本屋さんで、直感的にいいなと思って買った本は
たいていとてもよかったりします。

プラス方向の直感ばかりでなく、
なんとなく嫌な感じ…これも直感ですよね。

悪い予感があたる、そんなこともあります。
これは、自分の潜在意識が招いちゃってる、
なんてこともあるのかもしれませんが。

それはちょっとおいておいて。

昨日読んでいた本の一節に
こんな言葉がありました。

「ストレスとは、心がNoと言っているのに
口が勝手に開いてYesと言っているときのことです」

心はわかっているんです。
直感的に。

それを無視して続けていると、
身体の具合が悪くなったり、心がすり減っていったり。
そんな変調がやってきて、初めて気づく。
自分が自分を無視していたことに。
(気づかずに医者通いになることもあるはず!)

やるべきでないこと、頑張りすぎてはいけないこと、
自分には向いていないこと、
不必要な関係性にとらわれてしまっていたり、
相手や対象にのめりこみすぎてしまっていたり…
原因は様々あると思います。

心は直感的にそれがわかっているのに
私たちは、頭でいろいろ考えてしまい、
義理をたてたり、世間体を気にしたり、
頑張らない自分を許せなかったり、
最後までやりとおすことが美徳だと思い込んだり、
自分の心の声を無視していることがあるのです。

左脳ばかりが活発に動いているのでしょうか。
特に大人は。
直観力は相当鈍っていると思います。

直感は、自分が本当に求めていること。
きっとそうなんですよね。

直感に従うことは、自分自身を信頼してこそ。
そこに理屈はいりません。

他人に合わせる必要はないのです。
人目を気にすることもないのです。
自分を一番大事にしてよいのです。
相手には相手の人生があり、
それを自分でどうにかしようと
考えすぎなくてよいのです。

いろいろなことにあてはめて
考えてみてください。

みんながいいというから、いいわけではない。
自分の直感で、違和感があったら
それはあなたにとっては、良いものではないはず。

盲目的に誰かを崇め奉ることも危険です。
それは縦の関係に他ならないから。
大事な自分の人生を
他者に預けることなんてあってはならないです。

自己犠牲を美徳と思ってはいませんか。
人に与えるばかりで、自分を満たすことをしないでいたら
心と身体のバランスも崩れてしまうでしょう。
あなた自身も、もっと受け取っていいのです。

自分の心の声に耳をすませてみれば
きっと教えてくれるはず。

違和感があるまま、突っ走ってはいけません。
これは私も経験しました
歩くのに支障をきたすくらい股関節を痛めたのも
原因不明でしたけれど、
その環境から離れる選択をしたら
それは何もなかったかのように治ってしまいました。
もちろん、必要な経験だったのだとも思います。
今思うと、不思議なくらいいろいろな出来事があり、
そのひとつひとつも私にメッセージをくれていたんだと
そう思えるのですが、渦中にいるときには
前に進むことしか、考えられなくなっているものです。

もっと自分の感覚を研ぎ澄ませて
直感の力を信じていきたいですね。
自分の深層が、どう感じているのか、
自分に問いかけてみることも大事です。

心がNoのサインを出しているときは
それを否定するような、都合のいい理由や説明を
左脳が考え始めるかもしれません。
でも、自分を無視してはダメなんですよね。
自分の心に従って物事をすすめていくこと、
これが本当に自分の望むことのはず。

説明はいらない。
直感を信じましょう!

そしてプラスの方向にいくのにも
直感的にやりたいと思ったことにブレーキをかけたり
あれこれ言い訳をつくって後回しにせずに
チャレンジしていくことも必要です。
不安な思いを乗り越えて!

言うは易く、行うは難し…ですけれど

自分を信じて
自分を大事に
前に進みたいですね。


miwako

新年

このブログを読んでいる皆さんは、
どんな新年を迎えているのでしょうか。

皆さんが、新たな年を幸せに過ごせますように。

今年もよろしくお願いいたします。


絵画セラピー、ケアエクサを通して
何が1番よかったか。

今のところは、
人と軽やかに繋がれるようになった
ことだと思っています。

立ち話1つとっても
素直に話が聞けて
素直に自分のことを話せる

防御の鎧をつけなくても
意外と大丈夫!

って思えるようになってきました。

自分を信用できるようになってきたし、
何かあったら、自分の1番の味方でいようと思う。

そうすると、

なぜか、他の人のことも大事にできるんです。

人って大切にされてるって思うと
嬉しいし、幸せだし、
その幸せを誰かに分けたくなると思うんです。

そのパワーの源、
大切にされてるって思う
それを自分で自分にあげれるのだから、
ほんと、楽になれます。

そんな素敵な経験を、
ぜひ今年、味わってみてください。

酉年の一年

軽やかに風にのって飛んでみたいですね。

youko

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フレデリック

レオ・レオニ作の「フレデリック」というネズミの話
ご存知でしょうか?

「スイミー」はとっても有名ですよね。
我が家にも数冊コレクションがあります。
どれも淡々と語られているのですが
心の奥の深いところに何か残るような
そんな印象的なお話です。

でも「フレデリック」を初めて読んだときは
正直、え・・・?と思わずにはいられませんでした。

だって、ネズミの仲間たちが
みんな一生懸命冬支度をしているときに
ひとりだけ、手伝いもせずにぼうっとしているのです。
仲間にたずねられても
なんだか呑気な感じで
「ぼくは色を集めているんだ」とか
「お話を集めているんだ」とかいうばかり。

そして冬になり、だんだんと食料も尽きてきて…
みんな寒くて凍えて、おしゃべりする気にもなれず。
ふとフレデリックがしていたことを思い出し、
「そうだ、フレデリック、君のあつめたものは?」
と尋ねます。
そしてフレデリックは、いよいよ自分の出番だと
みんなに目を閉じさせて
きれいな色を思い浮かべさせてあげたり
とても素敵な詩を語ったり
みんなの心を豊かにしてあげるのです。

確かに…それは意義あること。
でも働きもせず、みんなが集めたものを食べるって
どういうこと?

この時は、私もまだ新米ママで若かった。
協力し合わなきゃいけないとか、
ひとりだけずるしているみたいに見えるとか、
こうするべき、こうあるべき、
みたいなものが崩せなくて、
フレデリック、それでいいのー?と
心の中が違和感だらけだったのです。

ところが、数年前、本屋さんなどで、
かわいいフレデリックのぬいぐるみを
みかけるようになり、
懐かしくてもう一度読んでみました。

すると印象が全く違うんです。
フレデリックは自分らしく生きていて
自分らしくみんなのためになることをやっていた。
仲間たちも、フレデリックの話を聞いて
心にあかりがともったように
私の心にもぽっと暖かいものが生まれました。

ねずみの仲間もなんて優しいこと。
フレデリックの行動を不思議に思っても
否定することもなく、ありのままで受け入れ、
最後は、「君は詩人だね!」と拍手喝采。

どう行動することが一番良いのかとか
(それは誰にとって?なんのために?)
何が正しくて何が正しくないのかとか…

ジャッジは必要なかったんですね。

たぶん人は、知らず知らずのうちに
自分の中の基準にあわせた物差しを持っていて
常にそれで計ろうとしてしまう。

それがものすごーく短い物差しだったら
ひとりよがりで窮屈な生き方に
なってしまうかもしれません。

子育てをしてきて、子どもと関わる仕事をしてきて
心理を学ぶ機会を得、自己客観視をすすめてきて
だんだんと柔軟になってこれたのかなぁと
そんな風に感じました。

なんだか、うれしい♪
自分の世界も広がってきているようです。

いろんな個性があって、人それぞれで、
それが普通であたりまえのことだと
今さらながらに思うのです。

フレデリックのようにきらっと輝く何かを
きっとだれもが持っているはずですから。

はじめに、フレデリック、だめじゃん!って
思った私も今では懐かしい。
そんな私だって、悪かったわけではない。

ひとつ納得できないと、それが全部に影響する。
でもそれは視野の狭い見方でした。

時々その性質はでちゃうんですけどね。

でもその性質が場面によっては役立つこともある。

だからやっぱり、いい悪いではないですね。

見方を変える。
それをどこかで意識しているだけで
いいのだと思います。

自分の物差しを捨てて、
一歩下がって俯瞰してみると
世界はなんと広く見晴らしがいいものです。
そして気持ちも穏やかです♪






miwako












変わりたい時が、変わるとき?!

英語の先生をしているのに

英語にコンプレックスをずっと持っています。

それを打破したいな、と、数年に一度のサイクルで

やる気が上がってくる時がありますが、

参考書を数日やって、終わっています。

気が付けば、手を付けただけの良書が山盛り。。。


でも、昨日かな。

あ、変わりたいな

って思ったのです。

やろう、やらなくちゃ、

じゃなくて、変わりたくなって。

今まで、どこか自分を見切って満足していて。

「こんなもんで、いいかな」

って、自分で制限していた気がします。

それに、やったのにできなかったら、

言い訳もできなくなり、できない自分に向かい合わなくてはいけなくなりますしね。

でも、それも、もうやだな、って思ったんです。

なんでかな。

それがきっと、「機が熟した」っていうんでしょうね。

ということで、変わりたい自分に、変わるように、

宣言してみました。

もし、英語コンプレックスを解消できる方向で変われたら、

人生も変わりそう!

そろそろ、

アクセルとブレーキを同時に踏む人生

とも、お別れしなくてはね。

youko