絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

伝えたいこと

自分をジャッジしないこと

ケアエクササイズをはじめて
一番変わったこと、

それは自分のジャッジを
しなくなったことかもしれません。

真面目な人ほど
自分に厳しかったりしますよね。
それです。
謙虚と言うかなんと言うか・・・

これは真面目な方たちへ。

あの時の自分はダメだった、
二度とそれは繰り返さないようにしたい。

恥ずかしくて人にはとても言えない。
黒歴史? 抹消したい!

マイナスの体験として
印象に残っていること、
きっとあるでしょう。

失敗した自分を許せない。

そう、自分が自分を許してないのです。

ケアエクサで学ぶようになってから
そこに気づくことができました。

どんな自分も自分の一部なのに
そこを認めずにいたら…
自分が自分を許せずにいたら…
なんてかわいそうなんだろう?


時に私たちは「結果」だけ見てないかな?

良かったか、悪かったか??
その二択だけで結論づけていないかな?

大事なのはその体験が
今の自分にどう生きているのか。

きっとそこから学んだこともあるはず。

あったことをなかったことにはできないから
見ないふりをしてはいけない。
(ふたをしてしまうということ)

辛い体験があったとしても
そこからちゃんと学びを得たからこそ
今の自分がいるのではないかな??

(その部分を無意識に捻じ曲げて
 防御の方向になってしまうことも…
 このあたり、難しいところです)

いずれにしても
過去の影響を受けないことはありえない。
マイナスを排除なんかできないし
する必要もない。

今の私は、
マイナスもたくさんあったけれど、
(そして今でさえあるけれど)
それをプラスに変えてるんだと
そんな風に思えれば
マイナスの体験にこそ、「感謝」かもしれない。

経験値をあげるって
そういうことに他ならない。

何もかも順調なこともあり得ないし
ずっと不幸でいなくたっていい。

どんなに薄い紙にも表と裏があるように、
世界はプラスとマイナスのバランスで
できている。

夜と昼、陰と陽、静と動、
どちらも大切で、ないと困る。

どちらかに偏る必要もないし
どちらかが全くないようなふりをしなくてもいい。

両方合わせもった自分を
これでいい、と認められること。

これが自然にできるように
なってきました。


世界にたった一人の自分を
自分が大切にして抱きしめてあげる。

これ、とても大切です。

ジャッジは不要。
評価する必要はない。
客観視は必要だけど。

大事なのは、
じゃあ、どうする?
どうしたい?

過去の自分がいたから
今の自分がいるのです。

過去を認めたら
今の自分にも本当の意味で
OKが出せる。



過去を見つめるのが
まだ辛い方もいると思います。

でも「今」を変えていくと
実は「過去」とも向き合えるようになり
「過去」さえ変わっていくのです。


「心と身体のケアエクササイズ」で
少しずつ、心をほぐしていきませんか?

自分の変化が自分でわかると
とても嬉しいです。


miwako













心持ち(長いです) 

先日、会社の研修を受けてきて
それからずっと、ぐるぐるしている思考をまとめてみます。


こども達の未来は、どうなっていくのか?


最近よく、

数年後には、今ある半数以上の職業は、なくなってしまう

と、聞きませんか?
これに危機感を覚える方も多いのではないでしょうか?

私も初めてそれを聞いた時に思ったことは
「怖ろしい世界になるな。
そんな時代に青年期を迎えてなくて良かったな」
と、そんな自分勝手なことでした。

でも、それは言い換えれば、大事なこども達が
生きていく世界なんです。

初めて聞いた時から、ずっと、
だれかAI 対して、未来に対して
ポジティブなことを言っていないか
心配ね、じゃなくて、楽しみね、って言っていないか
ずっとアンテナを張っていました。

残念ながら、私が耳にしたのは、1人だけ。
ラジオのパーソナリティーの人が
「私はAIが発達するのはいいことだと思うのよ。
人間は賢いんだから、きっとうまく共存する道を
歩んでいくと思うの」

そう、まさに、そう思いました。

そこから、よーく 考えて。

そしたら、ものすごく、基本的なことにたどり着きました。

人が生きていく上での喜び、幸せは何でしょう?

魂が成長すること
他者とつながっていけること
ではないでしょうか?

その時、その大目標に、仕事っているのかな、と考えると
現代社会では、お金を得るために仕事をしている
また、仕事をすることが生きがいになっている人がいる

でも、それは 一番が仕事じゃなくてもいいんじゃないかな?
と思ったのです。
生きがいに、金銭を絡めなくてもいい。
快適になることに、金銭を絡めなくてもいい。
現にそうして暮らしている人たちもいます。

でも、現代の社会では、それは難しい。

だから、未来は。

AI にしっかり働いてもらって、
人間は、より魂の成長、よろこびを追及していけばいいと思うんです。

生活ができない?
今の社会ではできません。
でも、それは変えられるんじゃないかな?

AI にとって変わられる?
思い切って、仕事はお願いしちゃおう!
やりたいことだけ、やろう。
別のことをすればいい。

何かすることがないと、落ち着かない。
もちろん!
自分を、人を、喜ばせることをしよう!

最初は自分の目標が持てなくても、
誰かの目標を支えたり、助けたりすることで、
やがて自分の目標が見えてくるだろう。

そんなことを、私としては珍しく研修で
熱く語ってしまったら、担当者に

「未来から来ました?」

と、突っ込まれてしまいました。

穴だらけ、理想だらけ、夢物語だらけ
なのは、百も承知です。

でも、いま必要なのは、
おびえることでも、拒否することでも、怖がることでもなくて、
受け入れたり、自分を信じたり、他者を信じたり、
美しいものを愛したり、優しい気持ちをもったり
自分の中にある、複雑な思いを受け入れたり、

そういう、真善美 を
もう一度、自分の中に落とし込むことなんじゃないかと
思うんです。

未来が美しいもの、優しいもの、明るいものであるように、
何もできなくても、
気持ちを変えられれば。

女性性は、行動できなくても、
周りに気持ちを届けることは上手なんだと思います。

そうやって真善美に触れて育つこども達
接して生活をしていく大人たちが、
少しずつ 変わっていって、
それが大きな未来へのうねりになるのかな、と思います。

人間のダークサイドを否定することが
無いようにすること、見ないようにすることが、
真善美に近づくことではないと思います。

しっかりみて、確認して、
受け入れるべきは受け入れ、
否定するべきは、否定する。

そこに 真があるように思います。

私も、しっかり未来について
思い描いていこうと思っています。

youko

言葉のメモ

忘れやすいお年頃?でもありますが(笑)

心に響いた言葉、何かしら引っかかった言葉は
余裕があれば、メモしようと心がけています。

例えば、本の中にある一節、

例えば、歌の中にある言葉、

例えば、勉強会で聞いた言葉、

ふと目にした、耳にした言葉。

その時、おー!と感じるものがあっても
ずっと覚えているかと言われれば
日々のことに追われて、
忘れちゃうこともあります。

なんで、心に響いたのか、
それはプラスに響くときもあれば
なんとなく、ドキッとするようなもののこともあって
とにかく理由はわからなくても
きっと、自分に必要なことだからこそ
感じるものがあったんですよね。

そのサインを見逃したらもったいない!


手帳でもいいし、スマホのメモでもかまわないので
とにかく形に残しておくと
あとで振り返ることができます。

私は特に言葉に敏感なので
そうしたくなるのかもしれません。
人によってはメロディーだったり、
絵画やイラストだったりするのかも。

そうそう、何か素敵な映像を見て
あ!ここに行ってみたい!
というときには、その場所もメモします。

不思議なことに、書き出しておくと
実現する可能性が高くなるのです。
自分の意識にアプローチするのかしら?
行きたい場所は行くべき場所だったりして。

昨日たまたま見ていた番組で
歌手のFさんが、
作詞について語っていました。

ふと見た景色とともにおりてきた言葉、
それは作り出したものでなく、
わきあがってきたものだから
それを一番大切にしようと、
その言葉から詞を書きはじめたということでした。

自然に口をついて出た言葉を
まさに書き留めて
その歌いだしこそが
本当に印象的な歌になっていました。

私の場合、
何か作品をつくるわけではありませんが
自分を見つめなおすのにも
言葉のメモは役立っています。

自分を見つめなおしたり、
自分の思いを感じたり。

流されすぎないように、
日々に追われすぎないように、
ちょっと立ち止まるのは良いことです♪

気になる言葉は
きっと今の自分に必要な言葉。

仕事のアイデアや
未来設計につながることも
あったりします。

せっかく気づいたのに
流してしまうともったいないかもしれません。
忙しい時ほど、意識したいなと思います

比叡山にいってきました

京都を初めて訪れたのは中3の修学旅行。

金閣銀閣、有名どころを回ってから
団体のバスで比叡山にも向かい、
根本中堂というところで
法話をうかがいました。

わいわいがやがやとしていたのに
この山に入ってからは
何か空気感が違い、
心がすーっと穏やかになるような
そんな気持ちがしていました。

比叡山延暦寺は天台宗の開祖、
最澄がたてたお寺ということ以外
当時もよく知りませんでしたが、
今回訪れてみると、延暦寺は総称だそうで
ものすごい数のお寺が山全体にあることが
わかりました。

その中でも一番重要とされているのが
根本中堂なのでした。

根本中堂の中には
不滅の法灯と呼ばれるものがあり、
なんと最澄の時代から1200年、
一度も絶えることなく
灯がともり続けています。

人々の心を照らす灯。
どんな状況下でも守り続けられてきた灯。
なんと尊い光なのだろうと
当時、感動を覚えました。

「皆さんも心の中に
決して消えない灯を持ちつづけてください。
それがあなたを守り、支えになることもあるでしょう。
勇気をもらえることもあるでしょう。」

そんなお話をいただいた気がします。
修学旅行生向けに、笑いなどもまじえながら
楽しくためになるお話にひきこまれ、
とても印象的でした。

灯を持ち続ける…それは自分自身の生き方にもなります。
一筋の光、希望の光をいつも持ち続けること、
自分を信じて生きていくこと…

様々な思いが交錯しながらも
私もそんな灯を持ちたいと、その時願いました。

そしていつか、大人になったら
またこの灯を見に来ようと思ったのでした。

何十年もたって、ようやく来れました。

京都を数回訪れても
なかなか比叡山までは足を延ばせずにいました。
場所的にはほとんど滋賀県だったんですね。
山奥には間違いないですが。

今回はレンタカーを借りたので
迷わず向かうことができました。
というより、今年は行くぞと決めていました!

あの頃と同じ空気感。
改修中のため、外観はネットに覆われていましたが
靴をぬいであがっていったところは
神聖な雰囲気に包まれていました。

灯は行燈のようなものの中にありました。
(以前はちがった?)
直接炎を見ることはできませんでしたが
とても暖かく優しい光を放っていて
「お帰りなさい」と迎えていただいたようで
胸にじーんと来るものがありました。

京都の夏の暑さも何もかも
一瞬忘れて
長い間手を合わせていました。

1200年の長きにわたり
灯は何を問いかけてきたのでしょう。
あるいは、ただそこにあるというだけで
人々の心にも一筋の光を届けていた。

長い歴史の中では
私たちは本当に一瞬の存在です。
それでも、自分はどうありたいのか。
どんな人生を歩みたいのか。
灯を目の前にして抱く思いは人それぞれだとしても
いつの時代も「人」は「人」
変わらないのかもしれません。

灯を見つめながら
自分の心を見つめるひとときが持てたこと、
感謝です。

普段は日々の忙しさに追われがちですが
時にはリセットする体験も大事ですね。

それにしても山の中、
古木、大木に守られた空間は
なんとも神秘的で不思議でした。
自然のもつ力は偉大です。

周りにいらっしゃる観光客の方々が
なぜかみなさんとても穏やかに見えることも
この場所ならではだったのかと思います。

またいつか訪れてみたいです。

心の灯をしっかりと持ち続けて。


七夕の願い

先日の七夕に子どもたちに願い事を英語で書いてもらいました。将来の夢や欲しいものをすぐ書く子。逆に欲しいものやなりたいものがなく、『どこか行きたいところはないの?』と聞くと、『ディズニーランドに行きたい』と書いてくれました。でも書きながら、『でもね、お父さんディズニーランド好きじゃないから連れていってもらえないんだ』とひと言。

中には『楽に死ねますように』と言う高学年の子がいて、『先生より若いんだから、まだまだそんなこと心配する必要ないのに』とその場では笑い飛ばしたけれど、後から何か心配事や辛いことでもあったのかな?と心配になりました。

一方義母のいる介護施設の短冊には、『長生きできますように』『健康で入られますように』などの他に『子供の顔が見たい』『家に帰りたい』と言う願いもあり、その心情を思うとちょっと辛くなりました。

子供達の願いにはまだ未来があり、可能性があるけれど、お年寄りの願いには切実なものがあります。

その人たちの置かれた環境や状況、また人それぞれの受け止め方や考え方で違ってくるのだとつくづく考えさせられました。

みんなの願いが天に届きますようにと思った七夕でした。


やるかやらないかなのだ

できるかできないかは問題ではなく
やるかやらないか。

今はそんな言葉が
自分の中に大きくあります。
自分のテーマなのかな?

みんながいいと言っている本でも
自分にはあまりしっくりこないものがあります。

また、繰り返し読む本からも
その時々で受け取るメッセージが変わったり
なんてことも。

タイミングってありますよね。

「やるかやらないか」を
実感できた本が2冊ありました。

ひとつは「アルケミスト」

「星の王子様」的な哲学ファンタジー?

おそらく、以前の自分が読んだら
漠然としていてしっくりこなかったかも。
星の王子様のようなかわいいイラストもなく。

とても短いお話です。
でも、メッセージが詰まっていました。

人生はすべて自分の選択。
これをやったら、成功するだろうか?
幸せが手に入るだろうか?
未知の未来に縛られるのではなく、
とにかく、「今」それを選択するかしないのか。
それで人生は動いてゆくのです。

このくらいでいいかなぁと思えばそこまで。
そこで満足することも選択肢のひとつ。
例え勇気を出して進んでも
良いことばかりとは限らない。
絶望したくなるようなことが起きたとき、
自分の選んだ道を後悔することもある。

やるかやらないか。
変化を望むか望まないか。

覚悟を決めてやったことなら
それなりの結果はついてくる?
というより、「やる」を選んだ自分が
誇らしいかもしれない。
結果はどうであれ。

とても短いお話なのに、深いなぁと
読み終えたころ、
書店で目にした今話題の書!

4週間で開脚???

身体が固い私には無理そうかなぁ。。。
ネットのサイトでレビューを読むと、
「やり方だけなら4ページでいい内容」と
酷評している人もおり。

でも気になるなぁと、ページを開いてみたら
なんと本が開脚?!
180度以上開くのです!
遊び心があるなぁ~
面白いから、買ってみよう!
もともと気になっていたのだし♪

本をテーブルの上においておくと
さっそくそれを見つけた娘が
「これ、無理でしょー」とコメント。

私の返事は…

「いやいや、できるかどうかじゃなくて
やるかやらないかだから♪」
(アルケミスト効果

できそうもないからやらない…のでは
一生変わっていかないのですもの!

そして1か月!

(なんと娘も熱心にやっていました
 毎日5分くらいなので続けやすいのです)

足はそれほど開きませんが
身体が前にずいぶん倒れるようになりました。
この本によると、4週間開脚の定義は
足が180度開くことではなく、
前に身体を倒して、両肘がつくことなので
それはクリア!

毎日少しずつ変わっていくのは
楽しいことでもありました♪
ここでやめたら戻ってしまうので
今でも細々続けています。
もっと柔らかくなりたいし
身体が柔軟になると
健康のためにも良いことがたくさんあるようだし

やらずにいたら、今までの自分でしたが
やってみてよかった。
やらなきゃわからないことって
沢山ありますよね。

股関節がちょっと弱いので
無理しすぎると痛めてしまう…
その加減もわかりました。
がんばりすぎずに、続けていこうと思います。
そのうち飽きるかもしれないけど

本もね、中に入っていた
なんてことはない短い読み物に
やはり、大事なことが書いてありましたよ。

「やるかやらないか」

できるかどうかを心配し続けるのでなく
とにかく1歩踏み出すこと。
それが自分を変えていくこと。

買ってよかった本の1冊です。
それは、ちょうど自分のタイミングとあっていたから?

今の自分が、チャレンジモードなのかもしれません。


miwako






何十年もたって思うこと

受験シーズンですね。

自分の高校受験を振り返ると
第一志望に落ちてしまい、
予定外の私立に通うことになり、
なんだか目の前がくらーくぼやけた感じで
胃のあたりも、ふわふわとして
気持ちが定まらないような
とっても不安定な感じだったのを
思い出します。

それでもこの道しかないのだからと
東京に行けるしね~なんて
あまり気にしていないようにふるまっていたかなぁ。

初めての挫折感もあったけれど
結局は、ものすごーく勉強したわけでないし
実力だったなと思ったり。
割り切った気持ちになろうとしていました。

両親も文句も愚痴も慰めも言わず
自然体でふつうにしてくれていたこと。
あとからとても感謝しました。

それでも、夏休みくらいまでは本調子でなく
自分が空回りしていて、
頭が痛いからと学校を休んだり
林間学校も行く気にならず、欠席したり。
そんなこんなに、母は心配したそぶりもせず
「頭が痛いならしかたないわね」と
欠席の電話をかけてくれていました。

もしかすると、難しい年頃だし…と
気をつかってくれていたのかもしれないし、
母のタイプとしては深く考えずに
単にあるがままを受け入れてくれてたのかな。
そんなことをあとから
言っていたような記憶もあります。

もっともそんなにしょっちゅう休んだわけでなく
もともと疲れやすいタイプで
乗り物酔いもするし、
電車通学にも慣れなかったということもあり。

1年生の後半には
場違いの場所にいるという感覚は減っていき、
高校もそれなりに楽しめるようになり
部活も遊びもたくさん経験。
お友達の輪も広がりました。
ないしょでバイトもしていたし、
英語にますます興味がわいて
地元の英会話の先生の所に通ったり。

英会話の楽しさをたくさん教わり
発音もどんどん良くなっていったり
外国の方のお家に遊びにいかせてもらったり
世界が広がっていきました。

短大とかではなく、
実用英語を身につけたいと
専門学校に通う!と決めたころ…

その先生が引っ越されるときお手紙をくださり、
私が今、こんなに成長しているのは
受験に失敗したことを乗り越えたから、
それで強くなったのだと思うと
そんな言葉をくださいました。

その時、はじめて、
そうなの?私って挫折を乗り越えたの?って、
多少、敗者の気分でいたのに
そうか、そんな見方もあるんだと
失敗をプラスに変えたってことなのかなと。
だったら、この経験も無駄じゃなかったんだなぁと
思うことができたのでした。
なんだか嬉しいと同時に新鮮な驚きでした。

だから、受験に臨む自分の子どもにも生徒にも
自分の失敗談を話したりして、
そりゃあ、希望どおりが一番うれしいに違いないけれど
万が一のことがあったとしても
それでも道は開かれていくし、
新しい出会いもあるし、
なるようになっていくから心配はいらないよと
伝えることができています。

自分の気持ちの持ち方次第。
すべては用意されていた、
経験すべき試練だったのかもしれないし。

過去や未来にこだわらず、
今を充実させればいいんですよね。

もっとも気持ちが落ちているときには
なかなか切り替えはできませんけれど。

ワタシって、けっこう偉かったかな?
がんばったよねーと、
今まではそんな風に思っていました。

でも、最近、まさに今日!
さらに気づいたこと!

実は、公立・私立どちらにすすんでも
中学の時やっていた吹奏楽部はなくて
継続はあきらめていたのですが

なんとなんと、進学先の私立高校で
校長先生の鶴の一声、
ブラスバンド部を結成します!ということで
顧問になる先生をスカウト?採用し、
私が入った年に部が新設されたのでした。

新設2年目でコンクール金賞の実績。
部活動も充実でした。

これは単なる偶然、
それ以上には考えたこともなかったのですが

もしかして、もしかして
神様からのプレゼントだったのかも?

希望を失いかけていた私に
ここにも居場所があるよ、と
場を整えてくださっていたのでは?

そう思ったら
何十年もたっているのに、
感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

あの時、部活動で発散する場がなかったら
もっと長い間落ち込んでいたかもしれない。

ひとりの力じゃないんだな。
周りの人が見守ってくれたことに加え
きっと神様まで応援してくれていたんだと
今頃気づいたわけです。

ありがたいですね。
ひとりじゃないって。

それを心から信じていたら
勇気がわいてきますね。

どうしてこんなことを今頃思ったかと言うと
母校の記事を見つけたから。

毎朝5分間、無心で赤い糸を縫うという
運針の時間が今も続いているそうです。

始めは15cmくらいしか縫えないのが
卒業するころには2mを超えました。
すごい人は3m。

今は「禅」の時間的扱いらしいです…

あの経験もよかったなぁと
(当時はルーティーンでやっていたものの…)
当時の、校長先生を思い浮かべていました。
とても前向きで話も楽しく人気者の先生でした。
バレンタインにはチョコレートが届くほど!

道にそれたような気分で入学したのに
多くの学びをさせていただいていたことに
今さらながら感謝です。

それにしても、あぁ神様。
自分一人で頑張ってきた気になってましたが
そうではありませんでした。

心から感謝いたします。


miwako