絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

伝えたいこと

本当の意味

心が痛い・・・

そんなひどい出来事があっても・・・



受け入れがたく

なぜ自分がこんな目に合うのか
合わなければいけないのか

「私は一生懸命に生きているよね?なのに何故?」

と苦しんでも・・・・

そんな目に合わせた相手を恨んだり
憎いと思ったとしても・・・



どうかそこから離れて物事をつぶさに見ていって欲しい。

俯瞰して全ての面からそれを追って行ってみて欲しい。



そこには本当の意味が
貴方にとっての大切な意味が

ちゃんとあってのことなのだから・・・



そして今までのあなた自身の課題を
いっぺんに手放せるような事柄が
ちゃんと隠されているのだから・・・



苦しみのさなかに居て
それに気づける自分を創ってこれているだろうか・・・・


心を切り裂かれるような出来事の裏側に

そんな神の采配が見えたとき、分かったとき


苦しめた相手にさえ

その運命にさえ


感謝の気持ちしか沸いて来ない。



「ありがとうございます」



そしてまた一つ 自分自身が強くなり

そしてまた一つ 周りの人に優しくなれ


そしてまた 自分がとても愛おしくなるのです。




kimiko

サンタさんの話題から…


人って自分の見方でしか見ておらず、
自分の感じ方が一般的だと勝手に思っていて
だれがどんなふうに感じるかのバリエーションに
思いを馳せるきっかけがないと
自分以外の感じ方をなかなか受け付けられないものです。


子どもが小学校の高学年に差し掛かるころ、
よく話題になったのが
サンタさんはいるかいないか、ということ。

当時、ご近所のお母さん曰く、
息子さんのクラスで、意見が真っ二つに割れたため、
それぞれが親に確認をとって
どっちが正しいかを決めよう!ということになったそうで。

そのお母さんは、
真実を伝えるときが来た、と
「サンタさんは本当はいないんだよ。
でも、信じている人もいるから
それを人に押し付けたりせず、
あなたはこの議論から離れて黙っていなさい。
妹にも言っちゃだめだよ。」
と伝えたそうです。

サンタさんを信じていた小5の男の子は、
がっくり肩を落としてさびしそうにしていたとのこと。
「こういう積み重ねで大人になっていくんだよね」と
お母さんは話していました。

このお母さんの毅然とした態度にも
当時の私はびっくりしたのですが…

私だったらどう言うかしら?
完全否定はできないなーと思いました。
私自身、どこかで信じているような気持ちがあるので
できれば放っておいて、自分なりに感じてくれればいいのかな?
なんて。
白か黒か決めつけなくていいこともある。
心の中にサンタさんがいたっていいじゃない?
でもそれをどう伝えるか?
プレゼントを選んでいるのは親だし、
そこを聞かれたらウソはつけないし…
幸い?うちの子どもたちは、
そういった質問をしてこなかったので
実際はどうしたのか…想像するばかりです。

我が家では、
中学生くらいから、もう大きいからねぇ、
みたいな感じで、親からのプレゼントに切り替えていました。

なんというか、許されるウソ?
ウソというより、ファンタジー的な世界も容認?
自分自身も、あぁきっと親が選んでくれてるんだなぁと
子ども時代に気づいたものの、
その状況さえ、幸せなことだなぁと感じていたものです。

ところが!
3人の子どもがずいぶん大きくなってから、
ふとした時に、聞いてみたところ…

「まぁ、いないだろうなと気づいたよ。」っていう
ごく普通(と私が思う)感想もありましたが、
ひとりは、「大人たちに騙された!」と思ったそうです。
そこには、信じたものに裏切られたような落胆の気持ち。
純粋な子どもをだますなんてひどい。
被害者意識を持ったそうです。
それがずっと続いているわけではないですけれどね。

まさに想定外。
大人はだますつもりなんてこれっぽっちもないけれど
角度を変えてみれば、やはり騙されたという感想もあるんだと
衝撃を受けました

でもそれを黙っていたのは
親への気遣いも少しはあったのかも。
(勝手な推測)

それぞれ持って生まれた性質もあると思います。
のんびりタイプ、せっかちタイプ、
細かいことが気になるタイプ、
気にならないタイプ、
心配性、楽観的、
批判的、協調的…
どのタイプも、表裏一体で長所も短所も併せ持っています。

私の感覚では、サンタさんの一件は、
ちょっと寂しいことだけど受け入れていくこと。
それが一般的?と思っていましたが
自分の子どもでさえ、私とは違う感情をもっていた、
それにまったく気づかずにいたんだなぁと…
それはプチショックでもありました
子どもと一体感が持てなかったとか、
自分の想像力やキャパが欠けていたとか、
子どもの気持ちに寄り添えていなかったんだとか…
いろいろ思いました
もう10年くらい前のことですが!

大人が騙しただなんて、
そんなのひねくれた考え方じゃない?
そう片付ける人もいるでしょう。
でも、感情はその人のもの。
他人がいじったり、批判したりするものではありません。
感情に良い、悪いはないのです。
(自分にも言い聞かせてます!)


どんな感じ方をするか、
本当にそれは個々に違っているのです。
ついつい自分が普通、って思いがちですが
そんなことはないんですよね。

子どものうちに、考え方や感じ方を否定されたら
ものすごく辛いと思います。
自分を否定されているということだから。

どう思う?
どう感じた?
そんなことを、批判者の目線ではなく
共感者の目線で聞いてあげられるといいですね。
信頼できる誰かに、感情を伝えることができて
それを、ただ、そうなんだね、と受け入れてもらえたら
どんなに安心することでしょう。
私は子どもの気持ちを尊重したいと思いつつも
時々親目線で意見を言っていた気がします。
(反省!)
答えを出さなくていい時もあるのに
そこまで思いが及ばなかったこともあった気がします。
(あまり具体的には覚えてないんですけど
反抗期の売り言葉に買い言葉とか
もう感情爆発~みたいなこともありましたし

自分の子どもはもう成人してしまいましたが
大人になってもここは大事にしたいと思っています。
ちょっと冷静、客観視もできるようになってます~
いつからだって、意識すれば
ものごとは変わっていきますものね。

人間関係、すべてに繋がっていることだとも思うのです。

感じ方は人それぞれなんだなぁと
客観視をする機会が増えてきました。

自分はふつうと思っていたのに、
私って変わっている??と思っちゃうくらいの今日この頃です
それもよし!

miwako

言っていいよ

夏休み、楽しかった?

って聞かれたら、たいていの子どもは、

楽しかった。

っていうでしょう。

これに限らず、子どもに限らず、

いつの間にか、人って「正解を答えよう」ってしちゃう。

その場に一番沿うことを言うことが、

スマートだって、思ってる。

でも、いいんだよ。

思ったことを言って。

言いたいことを言って。

思ったことを 言いたいように 言っても

あなたは、大丈夫。

なにも崩れないし、失わないんだから。

崩れて、失ったとしても、

それは 学びにつながることでしか ないんだから。

究極的に、 人生に失敗って ないんじゃないかなぁ。

どう とるか

だけだと思うんだよね。

だから、思ったこと感じたこと

「言っていいよ」

志陽

よりそうということ

先日、思いがけず緊急手術をすることになり 

スケジュールが狂ってしまったので 

連絡せねばいけない人達に

取り急ぎ報告をして、

しばらくメールやラインやメッセージのやりとりが続きました。


前から予定していた手術ではなかったので

まず自分自身に心の準備も余裕もなく

一体何が起きたのか理解できず

慌てました。



みなさん 心配してくださり とってもありがたかったです。



幸い これまで、心配する側だったことが多いので

弱っている人に どのような言葉をかけたらよいのか

分からずにいましたが

今回のことで



どんな言葉をもらうと染みるのか。

嬉しいのか。

励まされるのか。


逆に、

今そんなこと聞かれても~と困ってしまうのか。

不安を煽られるのか。



(あくまでも私にとってですが)



相手を説得したりするときに有効な


「私の気持ち」を現す I メッセージは


お見舞いの言葉がけには向かないんだなぁと感じました。



受け取り方もそれぞれですから

正解はありませんが

今回の この経験を生かして

もっと相手の気持ちに寄り添える人になりたいです。


Shinobu

もう1歩踏み出すには!

いつも延々と愚痴を言い続ける人、

まわりにいないでしょうか?

愚痴とは言わなくても

漠然とした心配事(老後の不安とか?!)を

そのままずっと持ち続け

あぁ心配~と言っているだけとか。



だったらどうにかすればいいのに。

そう言われてみればそうです!

愚痴や心配を口にしているだけで

なんの対処も行動もとらないことって

結構思い当たる人が多いのではないでしょうか。


仕方ないとあきらめているのか。



実は実は、それって

何もしないことが自分にとって一番楽だからなんですって!


行動する、何かを変える、

それによってどう変化していくかは

やってみなけりゃわからない。

うまくいくか失敗するかどうかも未知数。

それは無意識に不安につながっているのだそうです。

不安を選択するよりは愚痴をとる。

慣れ親しんだ現状維持。


そして漠然と

自分はなんにもしないで

勝手に環境が変わってくれることや

誰かがどうにかしてくれるのを期待したり、

私ががんばるのはおかしい、

今がうまくいかない原因は相手にあるのだから!と

憤慨してみせたり。

これって他者に自分の人生を委ねてるってことです。


でも、誰の人生なのでしょう?

自分が動かない限りは何も変わらない、

自分が変わるしかない、

それがわかっている人は強いです。

自立しています。


どうなりたい、どうありたい、

そんな思いがあるのなら

勇気を出して1歩前に出てみなくては!


あぁそれでも

現状維持ほど楽なことはありませんよね

だったら不満も愚痴も言わなきゃいい。

自分でそれを選んでいるのだから。


そうですよねー

頭ではわかる。



1歩踏み出してみたら

周りの景色も劇的に変わったりするのかも!


失敗しても経験値、と覚悟を決めて、

勇気をもって前に進んでみる。

きっと初めの1歩がとっても大変なだけ。


愚痴を言い続ける自分がいいか、

前に進む自分がいいか。


ほんの少しの勇気と決断力!

いきなり大それたことをしなくてもいいのです。

まわりのちょっとしたことから

少しずつ少しずつ積み重ねて

昨日の自分と違う自分、

少しでも前に進む自分を意識できたらいいのかな。


はい、少しずつはやってきました。

でも、まだまだだなぁと思うこともたくさん。


先送りにしない自分、

無理そうとあきらめない自分、

行動する自分を目指したいと思います!



Miwako


私的転換点

何気ない日常が続く中の

ありきたりな1日である昨日。

そこが私の転換点でした。


ずっと、自分の中の気持ちに

違和感を感じていました。

ごく普通に、どちらかというと

前向きに生きているのに、

時折 襲う 自滅願望。

自分の中に

違う自分でも居るんじゃないか

って思うぐらい、

振り幅の大きい思いにとらわれることがありました。

また、学生時代から人間関係で

同じ失敗を繰り返し、

やっと抜け出したのは最近で、

それも、超えたのではなく

避けてるだけ、という自覚していました。

そんな中、

きみ先生に改めて伝えられた

本当はなにが欲しくて

なにがいやで

なにが辛かったの?

の問いかけ。

直感的に、向き合うときは今、

と、その後、日常生活の中で

自分の感覚を確認しながら

しばらく過ごしていました。


そして、転換点となる昨日。

思ったことを、

書いて伝えてみました。

すると、書くことでどんどん整理される気持ち

それに対する、温かい思いのこもったコメント

から、一気に、自分の中の芯が

クリアになりました!

すると、自分の中の違和感が、綺麗に統合され

あれもこれも、そういうことだったのかぁ

と思い、いろんなことが雲が晴れるように

クリアになったんです!

子どものための絵画セラピーに

長男が参加して、

子どもが問題なんじゃなく

自分が変わらなくちゃ先に進めない

って思ってから、

ケアエクサに参加して。

月に一回は参加したほうがいい、と

アドバイスを受け、

いろんな時があってもなんとか通い

5年が過ぎました。

長いのか、短いのかはわかりませんが

私としては

自力でたどり着けた

ことに、ものすごい価値を感じます。

また、これは1人ではできなかった。

自分と向き合うって

いい自分も見たくない自分も

両方見ていかなくちゃいけない。

それってシンドイ。

でも、なにを見せても受け入れてくれ

見守ってくれた先生と仲間がいたから、

ここまでこれたんだな、と思います。

でも、

ここは目的地ではないです。

この、クリアになった自分で

しっかり生きていくこと

行動することが大切、と感じます。

でもでも、

とりあえず、

最初の目的地にたどり着けて

爽快感を味わっています。

自分の中の真理。

本当に見つけられて良かった!

youko


正しい答えなんて いらない(2014.1記)

昨年の市民祭の後、
ナント8名もの子ども達が入会したダンスクラブ。

しかも幼稚園生3名、一年生4名(もう一人は中学年ですが)
というちびっこ軍団です。

可愛くって、もうメロメロですぅ


このダンスクラブの素晴らしい特徴は

高学年が低学年の面倒を本当によくみること。

自分が小さい時に先輩のお姉ちゃんにやってもらって嬉しかったことを

今度は自然に下の子達にやってあげています。

ですから学校生活においても、一緒に遊んだり、声を掛け合ったりする。

代々そういったことが継承されていっており

その仲の良さにお母さん達もいつも驚いています。



ですが・・・
先日のレッスンではとても残念なことがありました。


レッスンの最後に3チームに分かれ、
その日振り付けたダンスをチームごとに披露します。

それを見ている子ども達は、遠慮なく感想を伝えます。


そんな中、あるチームの出番となった時
慣れているはずの子ども達が自信がなかったからなのか
サッと後ろの方に下がってしまいました。

前に残ったのは入ったばかりのちびっこ達と、一番年上の6年生のみ。

どうするのか見ていると、2回目にさすがに6年生が注意し
しぶしぶ前に来て踊ったのですが・・・。


「まだ慣れていない、お手本がいなければ
できない年下の子達をほっぽらかして
自分に自信がないからと その場からサッサと
逃げるという行動を取るなんて、先生はとても悲しい。
あなた達が低学年の時は、
いつもお姉ちゃん達がサポートしてくれていたはずだよね。

○○ちゃん(6年生)にも注意されていたけれど
その行動について、今どう思っているの??」

と聞いたところ、一様に

「本当は自分達が前で見本となってやるべきなのに

それをしないのは間違った事だったと思う。

今度からは、ちゃんと小さい子のお手本となるようにしなければと思います。」

と素晴らしく 正しい答えを言ってくれました。


ですが私は

「正しい答えを求めているんでも、聞きたいんでもない。

今、それを言われて、どう思ったのか?どう感じているのか?

あなた達のその気持ちを教えて欲しいんだよ。」


でも
なかなか<気持ち>が出てきません。

意味がわからず困ってしまう子がいたり
また同じように、正しい答えを繰り返してみたり・・・


待ってみると、
一人の子が顔を赤くし涙目になりながら

「(自分が)恥ずかしい。…」

と言いました。

「そうかぁ、今 そう感じているんだね。

その気持ちを大事にしたら、きっと同じことは繰り返さないよ。」

と伝えました。

その子は真剣な面持ちでうなずきました。



こんなに小さな頃から、
自分の気持ちを手にとって感じることをしないんだなあ

と驚かされました。


一番まっとうである答え

誰からも非難されないであろう答え

大人が安心するであろう答え

を準備してしまっている。


心は感じていない。
否、感じていても見ないようにしておく。


こんな繰り返し・積み重ねが、

感情を味わえない

味わう方法がわからない

感じるのが怖い

大人を造り上げてしまうのではないかな 
と思った出来事でした。


小さな頃から、もっと内から湧き出る思いをしっかりと感じて
辛くとも恥ずかしくとも そこを、それを大事にしていったなら・・・


味わったことは容易には忘れはしないからこそ

同じ過ちは繰り返さないのです。


形ばかり綺麗に整えても

自分の内側には響いていない・・・

だから同じ事象を繰り返すのです。




「ホント、先生怒ると鬼だ――っ」

と言われようと、

これからも、子ども達と本気で関わっていきます!


kimiko