絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

スピリチュアル

行動パターンを変えてみたら

先日お洗濯ものを干していたら
なんていい天気!
これはどこかに行きたい~!
と、急にわくわくしてきてしまい…

でも家族は仕事や私用でだれもいません。

私も一応やるべきことはいくつかあって
借りてきたDVDを見ながらあれこれしようと
プランはたてておりました。

でもそれじゃあいつものパターン。

先日参加した講座では
自分の行動にブレーキをかけているのは自分自身。
そう気づいたばかりだし?!

成功する人はすぐに実行する人。
あれこれ考えずにとにかく始める人。
なるほどそうだなぁ、
迷っている人はずっと迷ったまま。
そんな気づきもあったことだし、
心のわくわくにしたがって、動いてみればいいはず!
今日はそれを実行してみる日なのかも?

なんだか水辺に行きたいんだなぁ~と、
そういえばここの所、ずっと思っていたのでした。
そこで、
昔行ったことのある湖を検索してみたら
電車でも30分くらい。
そこからバスが出てるらしい。

よし行くか?!

うーん、でもねぇ…
思い立ったら、ひとり映画とか
ひとりランチとかしていたけれど
ひとり旅行はたった1回の出張を除いて
ないのですよね
ふだんやりなれていないことは
ちょっと勇気がいるものです。

でも今日は自分を変えてみよう!
行動パターンを変えたら
何かが変わってくるかもしれない??

そして意気揚々と最寄駅に到着。
すると、なんということでしょう?
土日はバスがないって!!

ハイキングや釣りの方や、観光客はいるものの
本当に小さなスポットなので
(若干さびれている感じ
需要がなくて廃止されたそうなのです…

これはタクシーしかない。
もうあきらめるか?
あきらめろってこと?
うーん、片道2千円以内なら行く???

そしてタクシーの運転手さんに聞いたら
1500円くらいかなぁとのことだったので
乗せていただきました!
(本当はもう少しかかったのに
おじさんもそう言っちゃった手前…とかいって
早くメーターをとめてくれたのでした

春の桜と秋の紅葉の時期がとてもいいそうで
今はちょっとまだ早い感じ。
とても優しいオジサマでいろいろ教えてくださいました。

そんな時、ふと空を見上げたら…

雲の割れ目からまぶしいくらいの太陽!
そしてそのまわりに彩雲が

思わず、窓を開けていいですか?と聞き、
まぶしすぎてとにかくシャッターを押しただけなんですが
写真を撮りました!!




この彩雲、あっという間に消えてしまい
本当にほんの一瞬のできごとでした。

あー、でもこれに出会えただけでも来たかいがあった!
今いろいろなことを本当に前向きにやるぞ!と
気持ちが高まっているので
それを応援してもらえているんだなぁとしみじみ。
今日の小さな決心さえ
見てもらっているのかなぁなんて。

湖は主に釣り人しかおらず
とっても静かでした。
読書している女性がひとりいたかしら。。。
ペダルで足こぎのスワンにのる家族がちらほら。

紅葉が少し始まっていて、良い感じでしたよ。
静かな湖面に空が映ってきれいでした!

タクシーのおじさんが、また呼んでくださいと
言ってくれていたので
小一時間、散策や読書などして過ごしてから
同じおじさんに来ていただき、帰途につきました。
おじさんとも、いろいろおしゃべりして
楽しかった

来月モミジがもっと色づくころに
今度は夫と車で来ようと思いました。
近くに滝もあるし、見晴らしの良い山もあると
教えていただいたので♪

本当にただただ、湖を見て帰ってきただけ。
素敵なお店も、お土産屋さんも
何にもないところでしたけれど
心はとっても満足~

何より『彩雲』というご褒美。

家にこもってばかりじゃいけませんね。

アウトプットが続く時は特に!
自然から受け取るエネルギーは最高です

今度は何を変えてみよう?
自分改革もしていきたいです




miwako



桜の季節に(2013.3記)

今日はとても暖かく、お墓参りにはもってこいの陽気でしたね。

我が家のお墓は遠い為
そうちょくちょくは行けません。

来月、桜散る父の命日に行こうと計画しています。


父は22年前に亡くなりました。

もし今 父と話すことができたら・・・
一緒に過ごすひとときがあったら・・・

もっともっと温かい思いをたくさんしてもらえたのにな。

いかんせん、その頃の私は若過ぎました。

一番の心残りは、病院のベッドでたった一人で逝かせてしまったこと・・・。

その日は22時に仕事から戻り、そこへお花見宴会だった夫が
「桜の花びらが一枚、ゆっくりと螺旋を描いてコップの中に落ちてきた。
何か胸騒ぎがして、途中で抜けてきた」
と、同時に電話が鳴り、急いで病院に向かったのでした。


家族をとても大切にしていた、そしてとても寂しがり屋の父なのに
家族の誰も間に合うことができませんでした。

ですので、正確な逝去の時刻はわかりません。
(亡くなってから慌てて気づいた、という病院サイドのミスでもありました)



一周忌の法要も終わり、実家でくつろいでいました。

「お父さんをたった一人で逝かせてしまったことが、本当に申し訳ない。
正確には22時何分に亡くなったんだろうか・・・」

そんな話もしていました。

それから暫くして、帰り支度をしていたその時です。

居間にある、壊れて音は出ないはずの柱時計が22時45分に鳴ったのです!!

「あぁ、お父さんはこの時間に息を引き取ったのね。
お父さん教えてくれたんだね。ありがとう。」

ごく自然にそう思いました。

「やっぱり父はいつも傍にいてくれているのだなぁ」と、とてもうれしかったことを覚えています。









それから、様々な場面で
   救われるような事が起こると

私は必ず心の中で父や
   亡くなっている縁のあった方々に

「ありがとうございます」

と伝えています。













kimiko

目にとまる

「目にとまる」ってよく使われる言葉ですが

よくよく考えると、とてつもなくスピリチュアルな出来事なのかも?

例えば何気なく電車内で眺めている車内広告とか

美容院においてある雑誌の記事とか

新聞の下の方にでている書籍の紹介とか

まったく無意識に眺めているのに

ふと、飛び込んでくる言葉がありませんか?


文字に限らず、

ぶら~っと入ったお店で、ふと目にとまる品々。

時々、まさにさがしていたもの!!

だったりすることがありませんか?


ほしいものが手に入るときは、やったー♪と喜びますよね。

でもほしいってわけではないけれど

なんだか何度も見つけてしまったり

なんとなく心が惹かれるものもあります。


それはさておき、言葉にもどりますね。

ふと目にとまる言葉、

それってやっぱり自分へのメッセージのような気がするのです。

自分に必要なものを受け取れるように

自然と目にとまるように、できているのかも!


だって、無意識に眺めているだけなのに

何か心が反応するのです。

ピン!とくる感じ。

皆さんはそういうもの、ありませんか?

自分に必要なものだからこそ反応するのかもしれませんね。


年末の美容室で雑誌の相談コーナー?を読んでいたら

その経緯もすっかり忘れてしまいましたが

とにかくチャレンジをしてみましょう!というお勧めで

何をするかのポイントとして

自分がわくわくするものか、ちょっと怖いなと思うものをやるとよい、

ということでした。

わくわくするものはチャレンジしやすいけれど

ちょっと怖いもの???

そうか、不安があると逃げ腰になってしまうけれど

敢えてそれをやってみる。

ちょっと怖いなと意識しながらもずっと自分が持ち続けているものなら

本当はとても自分が望んでいるものなのかも。

一歩前進するには、その壁を破ることって必要なはず。

そんな風に受け取りました。

今の自分に必要なのは、不安を怖れずトライする勇気かな?


せっかく目と心にとまったこの言葉。

自分の中に取りいれて生かしていこうと思います


miwako







彩雲



先日江の島散策をした時に

ふと空を見上げると

うっすらとですが綺麗な虹色を発見

『彩雲』と言われるものです。

吉兆とも言われているようです

雲が風に流されると

あっという間に消えてしまいました。

いろんな偶然が重なって

こんな素敵なものを見せてくれたんだと

なんだかとても幸せな気分

すでに家族や友人にはシェアしましたが

皆様にもお裾分けです。


めったにお目にかかれないということですが

実は今年2回目でした!

1度目は電車から眺めていた夕焼け空の雲の中に。


不思議ですよね。

電車にも沢山人が乗っていたし

江の島も人が沢山いました。

でも空を眺めていたのはほんの少しの人だけ。

もしかしたら他にはいなかったかも。

偶然と言えばそれまでです

だけどそんな風にして

私たちはいくつもの大切なメッセージや

幸せを見逃しているのかも。

そこにあるのに

見えていないものがあるのかも。


忙しさに追われていると特にそうですね。

空を見上げる時間、

気持ちに余裕があるときしかないかもです。

日々、意識して自然に目を向ける時間を

持てたらいいな。

ちょっとした幸せを素直に喜べる

そんな自分でいれたらいいな。

柔らかい心でいたいな。

そんなことを思いました


今日は夜空を見上げたいと思います



miwako

流れ星☆(2013.10記)

不思議なことがあるものです。

2夜つづけて、流れ星を見ました☆☆

結構夜の遅い時間に愛犬と散歩するのが日課なのですが

2回ともその散歩中に。


昼間の散歩は公園の季節の移り変わりを楽しみますが

夜はもっぱら空を見上げます。

あぁ、カシオペアがほぼ頭上にあるなぁ、と思ったら

そのとたん、ななめにスーッと星が流れたのです。


あまりに一瞬の出来事で

見間違えたのかな?とも思いつつも

なんだか嬉しい気持ちで帰宅しました。

そして次の日、再び北の空を見上げていると…

やはりカシオペアの近くで再び流れ星が!


ちょっと怖くなりました(笑)

流星群でもないのに

こんなことって今までなかったですから。



1年半くらい前にも、やはり愛犬の散歩中、

公園のベンチのわきに1本つきでている四つ葉のクローバーを発見。

あまりにもわかりやすくみつけてくださいというばかりに。



ずいぶん前に、kimiko先生が

あり得ない場所で四つ葉のクローバーをみつけ、

(やはり1本だけわかりやすく突き出していたそうです)

ちょうどその頃がんばっていることがあったので

それは自分への応援メッセージ以外何ものでもないと

すぐに感じたと話してくれていました。


その時は、そんなことってあるんだなぁと

他人事のように思っていたのですけどね。


私の場合はクローバーが群生している所でしたが

それでもひときわ大きく立派なクローバーでした。

その頃、私は新しいプロジェクトに携わっていて多忙の日々でした。


なので、見つけた瞬間すぐに

あ!これだ!と実感。


「応援していますよ、安心して前に進みなさい」

というような励ましのメッセージを感じました。


今回もちょうど、人生初の挑戦を前に

多少の不安を抱えていた時でした。

おかげさまで、天候にもめぐまれ、ミッション完了☆



もしかすると、メッセージはたくさん届いているのに

ふだん忙しくて、それに気づく心の余裕がないだけなのかも。

散歩中は、雑事からもはなれ

心もリラックスできているのでしょう。


不思議なできごとも、ただの偶然と片付けてしまえばそれまでです。


忙しすぎるともったいないですね。

感じる余裕もなくなってしまうから。


誰かがどこかで見ていてくれて

応援メッセージを送ってくれていると思うと

心がぽかぽか温かくなります。


みなさんのまわりにもメッセージが届いているのではないかしら?


miwako
 

秋のヨナガに・・・(2013.10記)

他界してしまった母が良く言っていた・・・


『思い続けなさい』


叶えたいことや、

こうなりたい、こうなってほしい

そんな思いがあるならば

思い続けることが大切ということ。


ふと、夜、そんなことを思いだし、

自分の事を

振り返ってみました。



すると・・・

あれ?あれ?


この出来事って、結果的には、

自分の思いと同じ方向にいっている。


あの出来事は、この事と繋がっていた。


そんな事に、気が付きました。


。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・


秋のヨナガ、自分と向き合う時間をつくり、

『思い続ければ、きっと大丈夫!』

と自分を励まし、

そして

頑張っているね♪

と労ってみる。


そんな過ごし方をしてみてはいかが?



『思い続けなさい』

私は、元気な母の声が聞こえてきそうでした。


michi

象徴的な出来事(2013.10記)

前回の『Kimi達プロジェクト 始動!!!』には
応援や〈イイネ!〉ポチっも たくさん頂戴し、ありがとうございました。

みなさまからお力を頂いたようで、頑張る活力につながります!


*****


忙しいさなか
30年来の友人とフランス料理のランチ。

どれもこれも手が込んでいてとても美味しかったです。


長居はできなさそうなお店ですから、そこからスタバへ移動。

お天気もとても良い日でしたので、外のデッキにて
カフェとおしゃべりを堪能しておりました。


と、友人Sがいきなり「ああっ、子どもが消えた!!」と。

私は道路側に背を向けていたので、全く状況が掴めず「???」


普段はとてもおっとりしていて、
動作も しゃべる速度も ゆっくりゆったりのSが

脱兎のごとく、デッキを駆け降りたかと思うと

植え込みの向こうから「あっ!おじいさん!大丈夫ですか!?」との声。


私も慌てて、近づいたところ
おじいさんがうつぶせのまま倒れており、壊れた眼鏡と杖が散乱。

子どもと思ったのはおじいさんで、つまずいて転倒したのでした。


そこからSはすかさずおじいさんに駆け寄り
「大丈夫ですか?」と声を掛け、
意識のあったおじいさんが頭を少し持ち上げたところ
顔と手から、鮮血が・・・。


「頭を打っているかもしれないので、じっとしていた方がいいですよ」
と言いながら、その隙にすかさず自分のタオルハンカチを
顔の下に敷いてあげていました。


そこへ地元の若いママさんが通り
「うわっ、大丈夫ですか?」「救急車、呼びましょう」と。

私もすかさず、携帯を取り出したのですが・・・・

なんと充電が4%にて、起動も遅く、モタモタ(--;

若いママさんは待ち切れず、ご自分の携帯を取り出し 的確に連絡。


救急車が到着するまでの4.5分、友人Sはひたすら

「安心してくださいね。もう救急車が来ますよ」
「痛いですね。もう少し我慢ね~」
「大丈夫ですよ~」

とおじいさんの腕を擦りながら、声を掛け続けていました。

その間、私はほとんど何もできずに
散乱した眼鏡やバック、杖を拾ったりしておりました。


意識もしっかりしていたので、
きっと大変なことにはなっていないであろうおじいさんを見送り、
少し安心しつつ元の席へ。


ケアするお仕事をしている訳でもないSの

迅速・的確・そして温かい思いやりのある行動に

「やっぱり、素晴らしいヤツだな~」と惚れ惚れしつつ

自分の不甲斐なさにビックリし
(それほど私にとってはあり得ない自分の対応でした)

ちょっとガックリしたのですが・・・



はっ!!!



と気付いたのです。


普段から誰よりも行動的で素早さが身上のワタクシ・・・
頭の回転はかなり早い(手前みそで、すみません^^;)


こんな状況の時、誰よりも先に動き、的確に行動し、いつも

「kimiが居てくれたから」

と、感謝を述べられ、賛辞を受けてきた私。


ですが、初めて『何もできなかった』という体験をした・・・。

出遅れた為に。



はっ!!!



そうか、今までは私が一番手だっただけで、

二番手の人も本当は何でもできたのだ。

その時さえくれば、みんなできる やれる力はちゃんと備わっているのだ。



そうして二番手になってしまった人は、今の私のように

「何にもできなかった・・・」
「私はダメだなあ」
「どうせ私は・・・」

という思いに至ってしまうこともあるだろう。

お株を奪ってしまっていたこともあっただろうな・・・。


そして、更に

今のこの恵まれた状況も、
たまたま神様が指差したところに私が居ただけの事

もしかしたら、隣の人を差したかもしれない

その人も準備が整ってさえいれば、
きっと大義を感じてこの役割をこなすことだろう

だからこそ、決して驕ってはいけないのだ


という思いが湧き上がってきたのです。


後輩ママちゃん達からの感謝を頂き
関わっている社の方々からも必要とされ、
「私がいるから」
と勘違いをするようなことが決してないように。



きっと事が大きく進む この時に

大切な事を伝えてくださる為に

こんな象徴的な出来事が起こったのだと

(決しておじいさんの事ではなく、何もできない自分を味わうという出来事)


有難い思いでいっぱいになりました。


そして、そんなメッセージを見過ごさず

ちゃんと受け取ることができる自分自身であって良かったと

心から満たされた一日でした。



尊敬するマザーの

― 私は神の手の中の小さな鉛筆にすぎない

その言葉を少し理解できたような気がします。



この思いを忘れずに、邁進して行きたいです。


kimiko