何か一つの事を形にしようと、いろいろな人が関わる時・・・


強制されて訳もなく
自分で「やるんだ!」決めてその場に臨んでいたとしても

―私ってホントにダメなの~。自信なーーい。

ーナニ言ってるの??そんなこと言ったら私なんて~
  この前もね、余りに抜けちゃってて

―やっだ~~

と、いかに自分はだめなのか、
笑いに変えながら話に花を咲かせてしまう人がいます。



でもね

そこには真剣にそこに居て、全体のゴールを見定め

どうしたらみんなにとってより良いものができあがるのか・・・


自分の感情よりも、そこを見定めて動く人もいます。


きっとその人だって、初めてのことに不安もとまどいもあるでしょう。

でも、そんなことを 今 言っても

この状況にとっては何にもならないことを知っているんです。



それよりも、

今何を成すべきか

もっともっと、その場の波動を研ぎ澄ませて良いものにしたい

と思っている事がよくわかります。



自分の不安をしゃべり、
そこで同じように共感してくれる仲間がいると安心するのかな。


できないことを先に宣言することで、
失敗した時に「しょうがないよね」って、周りにも 自分にも許して欲しいのかな。


「謙遜が美徳」って思っているのかな。



もしそうなら・・・

その経験は、きっと自分の血肉にはなりません。


もし、うまくいったとしても『自信』として自分の中に残らないでしょう。
「ラッキー!」って思ってしまうんじゃないかしら。


もし、失敗してもその原因を探ることはしないでしょう。
きっと「やっぱりダメなのよね~」と
笑いに変えてごまかしてしまうんじゃないかしら。



成功も失敗も、その経験が自分の血肉になるのは

目の前にあるミッションに どれだけ真摯に向き合うことができるか

それにかかっています。



―自分自身が選択したことに、真摯に真剣に取り組んでいるか

―その姿勢が、周りにどう影響を与えているか


そんなことを内省するヒトトキは、貴重です。


kimiko