前回の『Kimi達プロジェクト 始動!!!』には
応援や〈イイネ!〉ポチっも たくさん頂戴し、ありがとうございました。
みなさまからお力を頂いたようで、頑張る活力につながります!
*****
忙しいさなか
30年来の友人とフランス料理のランチ。
どれもこれも手が込んでいてとても美味しかったです。
長居はできなさそうなお店ですから、そこからスタバへ移動。
お天気もとても良い日でしたので、外のデッキにて
カフェとおしゃべりを堪能しておりました。
と、友人Sがいきなり「ああっ、子どもが消えた!!」と。
私は道路側に背を向けていたので、全く状況が掴めず「???」
普段はとてもおっとりしていて、
動作も しゃべる速度も ゆっくりゆったりのSが
脱兎のごとく、デッキを駆け降りたかと思うと
植え込みの向こうから「あっ!おじいさん!大丈夫ですか!?」との声。
私も慌てて、近づいたところ
おじいさんがうつぶせのまま倒れており、壊れた眼鏡と杖が散乱。
子どもと思ったのはおじいさんで、つまずいて転倒したのでした。
そこからSはすかさずおじいさんに駆け寄り
「大丈夫ですか?」と声を掛け、
意識のあったおじいさんが頭を少し持ち上げたところ
顔と手から、鮮血が・・・。
「頭を打っているかもしれないので、じっとしていた方がいいですよ」
と言いながら、その隙にすかさず自分のタオルハンカチを
顔の下に敷いてあげていました。
そこへ地元の若いママさんが通り
「うわっ、大丈夫ですか?」「救急車、呼びましょう」と。
私もすかさず、携帯を取り出したのですが・・・・
なんと充電が4%にて、起動も遅く、モタモタ(--;
若いママさんは待ち切れず、ご自分の携帯を取り出し 的確に連絡。
救急車が到着するまでの4.5分、友人Sはひたすら
「安心してくださいね。もう救急車が来ますよ」
「痛いですね。もう少し我慢ね~」
「大丈夫ですよ~」
とおじいさんの腕を擦りながら、声を掛け続けていました。
その間、私はほとんど何もできずに
散乱した眼鏡やバック、杖を拾ったりしておりました。
意識もしっかりしていたので、
きっと大変なことにはなっていないであろうおじいさんを見送り、
少し安心しつつ元の席へ。
ケアするお仕事をしている訳でもないSの
迅速・的確・そして温かい思いやりのある行動に
「やっぱり、素晴らしいヤツだな~」と惚れ惚れしつつ
自分の不甲斐なさにビックリし
(それほど私にとってはあり得ない自分の対応でした)
ちょっとガックリしたのですが・・・
はっ!!!
と気付いたのです。
普段から誰よりも行動的で素早さが身上のワタクシ・・・
頭の回転はかなり早い(手前みそで、すみません^^;)
こんな状況の時、誰よりも先に動き、的確に行動し、いつも
「kimiが居てくれたから」
と、感謝を述べられ、賛辞を受けてきた私。
ですが、初めて『何もできなかった』という体験をした・・・。
出遅れた為に。
はっ!!!
そうか、今までは私が一番手だっただけで、
二番手の人も本当は何でもできたのだ。
その時さえくれば、みんなできる やれる力はちゃんと備わっているのだ。
そうして二番手になってしまった人は、今の私のように
「何にもできなかった・・・」
「私はダメだなあ」
「どうせ私は・・・」
という思いに至ってしまうこともあるだろう。
お株を奪ってしまっていたこともあっただろうな・・・。
そして、更に
今のこの恵まれた状況も、
たまたま神様が指差したところに私が居ただけの事
もしかしたら、隣の人を差したかもしれない
その人も準備が整ってさえいれば、
きっと大義を感じてこの役割をこなすことだろう
だからこそ、決して驕ってはいけないのだ
という思いが湧き上がってきたのです。
後輩ママちゃん達からの感謝を頂き
関わっている社の方々からも必要とされ、
「私がいるから」
と勘違いをするようなことが決してないように。
きっと事が大きく進む この時に
大切な事を伝えてくださる為に
こんな象徴的な出来事が起こったのだと
(決しておじいさんの事ではなく、何もできない自分を味わうという出来事)
有難い思いでいっぱいになりました。
そして、そんなメッセージを見過ごさず
ちゃんと受け取ることができる自分自身であって良かったと
心から満たされた一日でした。
尊敬するマザーの
― 私は神の手の中の小さな鉛筆にすぎない
その言葉を少し理解できたような気がします。
この思いを忘れずに、邁進して行きたいです。
kimiko
応援や〈イイネ!〉ポチっも たくさん頂戴し、ありがとうございました。
みなさまからお力を頂いたようで、頑張る活力につながります!
*****
忙しいさなか
30年来の友人とフランス料理のランチ。
どれもこれも手が込んでいてとても美味しかったです。
長居はできなさそうなお店ですから、そこからスタバへ移動。
お天気もとても良い日でしたので、外のデッキにて
カフェとおしゃべりを堪能しておりました。
と、友人Sがいきなり「ああっ、子どもが消えた!!」と。
私は道路側に背を向けていたので、全く状況が掴めず「???」
普段はとてもおっとりしていて、
動作も しゃべる速度も ゆっくりゆったりのSが
脱兎のごとく、デッキを駆け降りたかと思うと
植え込みの向こうから「あっ!おじいさん!大丈夫ですか!?」との声。
私も慌てて、近づいたところ
おじいさんがうつぶせのまま倒れており、壊れた眼鏡と杖が散乱。
子どもと思ったのはおじいさんで、つまずいて転倒したのでした。
そこからSはすかさずおじいさんに駆け寄り
「大丈夫ですか?」と声を掛け、
意識のあったおじいさんが頭を少し持ち上げたところ
顔と手から、鮮血が・・・。
「頭を打っているかもしれないので、じっとしていた方がいいですよ」
と言いながら、その隙にすかさず自分のタオルハンカチを
顔の下に敷いてあげていました。
そこへ地元の若いママさんが通り
「うわっ、大丈夫ですか?」「救急車、呼びましょう」と。
私もすかさず、携帯を取り出したのですが・・・・
なんと充電が4%にて、起動も遅く、モタモタ(--;
若いママさんは待ち切れず、ご自分の携帯を取り出し 的確に連絡。
救急車が到着するまでの4.5分、友人Sはひたすら
「安心してくださいね。もう救急車が来ますよ」
「痛いですね。もう少し我慢ね~」
「大丈夫ですよ~」
とおじいさんの腕を擦りながら、声を掛け続けていました。
その間、私はほとんど何もできずに
散乱した眼鏡やバック、杖を拾ったりしておりました。
意識もしっかりしていたので、
きっと大変なことにはなっていないであろうおじいさんを見送り、
少し安心しつつ元の席へ。
ケアするお仕事をしている訳でもないSの
迅速・的確・そして温かい思いやりのある行動に
「やっぱり、素晴らしいヤツだな~」と惚れ惚れしつつ
自分の不甲斐なさにビックリし
(それほど私にとってはあり得ない自分の対応でした)
ちょっとガックリしたのですが・・・
はっ!!!
と気付いたのです。
普段から誰よりも行動的で素早さが身上のワタクシ・・・
頭の回転はかなり早い(手前みそで、すみません^^;)
こんな状況の時、誰よりも先に動き、的確に行動し、いつも
「kimiが居てくれたから」
と、感謝を述べられ、賛辞を受けてきた私。
ですが、初めて『何もできなかった』という体験をした・・・。
出遅れた為に。
はっ!!!
そうか、今までは私が一番手だっただけで、
二番手の人も本当は何でもできたのだ。
その時さえくれば、みんなできる やれる力はちゃんと備わっているのだ。
そうして二番手になってしまった人は、今の私のように
「何にもできなかった・・・」
「私はダメだなあ」
「どうせ私は・・・」
という思いに至ってしまうこともあるだろう。
お株を奪ってしまっていたこともあっただろうな・・・。
そして、更に
今のこの恵まれた状況も、
たまたま神様が指差したところに私が居ただけの事
もしかしたら、隣の人を差したかもしれない
その人も準備が整ってさえいれば、
きっと大義を感じてこの役割をこなすことだろう
だからこそ、決して驕ってはいけないのだ
という思いが湧き上がってきたのです。
後輩ママちゃん達からの感謝を頂き
関わっている社の方々からも必要とされ、
「私がいるから」
と勘違いをするようなことが決してないように。
きっと事が大きく進む この時に
大切な事を伝えてくださる為に
こんな象徴的な出来事が起こったのだと
(決しておじいさんの事ではなく、何もできない自分を味わうという出来事)
有難い思いでいっぱいになりました。
そして、そんなメッセージを見過ごさず
ちゃんと受け取ることができる自分自身であって良かったと
心から満たされた一日でした。
尊敬するマザーの
― 私は神の手の中の小さな鉛筆にすぎない
その言葉を少し理解できたような気がします。
この思いを忘れずに、邁進して行きたいです。
kimiko