エリザベス・キューブラー・ロス博士は
ターミナルケア(終末期医療)・サナトロジー(死の科学)の
第一人者と言われています。
1950年代より医師として臨床をふんだ博士は、1959年より精神科医となり
今は日本より遥かに進んでいるアメリカや欧米でも、
その頃はまだまだ「死を語ることはタブー」とされていた時勢にして初めて、
死に逝く人達の研究をなさった方です。
『死の受容過程』(死に逝く者の5段階)
を臨床研究により確立させました。
心理学専攻者や医療従事者なら必ず学んだことでしょう。
死の受容過程とは・・・
まず第一段階として起こるのが「否認」です。
―私にこんなことが起こるはずはない。何かの間違えだ。
次に「怒り」
―まっとうに生きてきた私がこんな目にあうなんて!神様なんていない!!
―周りにいる人達だって人ごとと思っているに違いない。許せない!
第三段階では「取引」
―○○を我慢すれば、治るのではないかしら。
―心を入れ替えて良い人間になれば、神様が救ってくれるのでは。
第四段階では「抑鬱」
何も考えられない鬱の状態。
そして、最終的に全てを受け入れる「死の受容」
親しい人に思いを伝えたり、心静かに死の準備が出来るようになる状態です。
*****
生きて行くことに不自由さを感じている
常に満たされなさを感じる
いつもイライラしている
そんな方々とお会いする機会も多々あります。
その時、私はどこかで常にこの5段階のことを感じずにはいられません。
物事がいつもうまくいかない・・・
その原因が自分の側にあるという段になると『否認』に走る方がいます。
―私の問題ではない。周りのせいなのだ。
そして、いよいよ問題点を認めた後
しかしそれは、自分にトラウマを持たせた親が憎いと『怒り』を持ったり
この苦しみをわかってくれない近しい人に『怒り』を感じたり
また、深い所にあった歪みに気づかせてしまった私に対して『怒り』を持ちます。
ですが「人のせいにしていても始まらない。変わらなくては。」と思い
その為に我慢をしてみたり、
周りとの摩擦を恐れ評価を得る為にいい人を演じてみたり・・・
本来の自分自身を曲げることで、何かを得ようという『取引』をします。
それでも、本当に望んでいるものは手に入らない・・・。
自分自身の気持ちに嘘をついて頑張ることにも疲れてしまった・・・。
どうしていいのか先が見えない、
そんな状態で『抑鬱』的に暗くなる方も確かにいます。
そうして辿り着いた『受容』
―いいも悪いもないのだなあ。自分自身のあるがままを受け入れよう。
―内包されている苦しみも憎しみも、それも自分の確かな一部なのだ。
と受容することで初めて、その一部を自分自身によって変えていく
という選択権が生まれるのです。
ロス博士は、
死を迎えた後、人はサナギの殻を脱ぎ捨てるように
魂だけの存在として再生し、神の地へ向かう
と言っています。
私も、
自分自身を受け入れた後に、まさにその人の新たなる再生が始まるのだ
と確信しています。
kimiko
ターミナルケア(終末期医療)・サナトロジー(死の科学)の
第一人者と言われています。
1950年代より医師として臨床をふんだ博士は、1959年より精神科医となり
今は日本より遥かに進んでいるアメリカや欧米でも、
その頃はまだまだ「死を語ることはタブー」とされていた時勢にして初めて、
死に逝く人達の研究をなさった方です。
『死の受容過程』(死に逝く者の5段階)
を臨床研究により確立させました。
心理学専攻者や医療従事者なら必ず学んだことでしょう。
死の受容過程とは・・・
まず第一段階として起こるのが「否認」です。
―私にこんなことが起こるはずはない。何かの間違えだ。
次に「怒り」
―まっとうに生きてきた私がこんな目にあうなんて!神様なんていない!!
―周りにいる人達だって人ごとと思っているに違いない。許せない!
第三段階では「取引」
―○○を我慢すれば、治るのではないかしら。
―心を入れ替えて良い人間になれば、神様が救ってくれるのでは。
第四段階では「抑鬱」
何も考えられない鬱の状態。
そして、最終的に全てを受け入れる「死の受容」
親しい人に思いを伝えたり、心静かに死の準備が出来るようになる状態です。
*****
生きて行くことに不自由さを感じている
常に満たされなさを感じる
いつもイライラしている
そんな方々とお会いする機会も多々あります。
その時、私はどこかで常にこの5段階のことを感じずにはいられません。
物事がいつもうまくいかない・・・
その原因が自分の側にあるという段になると『否認』に走る方がいます。
―私の問題ではない。周りのせいなのだ。
そして、いよいよ問題点を認めた後
しかしそれは、自分にトラウマを持たせた親が憎いと『怒り』を持ったり
この苦しみをわかってくれない近しい人に『怒り』を感じたり
また、深い所にあった歪みに気づかせてしまった私に対して『怒り』を持ちます。
ですが「人のせいにしていても始まらない。変わらなくては。」と思い
その為に我慢をしてみたり、
周りとの摩擦を恐れ評価を得る為にいい人を演じてみたり・・・
本来の自分自身を曲げることで、何かを得ようという『取引』をします。
それでも、本当に望んでいるものは手に入らない・・・。
自分自身の気持ちに嘘をついて頑張ることにも疲れてしまった・・・。
どうしていいのか先が見えない、
そんな状態で『抑鬱』的に暗くなる方も確かにいます。
そうして辿り着いた『受容』
―いいも悪いもないのだなあ。自分自身のあるがままを受け入れよう。
―内包されている苦しみも憎しみも、それも自分の確かな一部なのだ。
と受容することで初めて、その一部を自分自身によって変えていく
という選択権が生まれるのです。
ロス博士は、
死を迎えた後、人はサナギの殻を脱ぎ捨てるように
魂だけの存在として再生し、神の地へ向かう
と言っています。
私も、
自分自身を受け入れた後に、まさにその人の新たなる再生が始まるのだ
と確信しています。
kimiko