絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

客観視

自分の傾向を知ること

自分は自分。

そんな風に思いつつも
実は本当の自分って??

わかっているつもりで
わかっていないこと、ありますよね。

人は自分を基準にものごとを考えがちなので
心理ワークなどをして、
他の方の感じ方などをお聞きすると
こんなにも多様な感じ方、考え方があるのだと
時にものすごく驚かされ、
人それぞれ、個性があるとわかると同時に
自分の傾向もだんだんわかってきます。

ケアエクササイズをとおして
自分を客観視してみることができる
貴重な機会をいただいている感じ。

それは日常生活にも生きてきます。

誰にでも長所・短所がありますよね。

それぞれも表裏一体で
長所の裏に隠れた短所もあるかもしれないし
短所と思えるところが実は長所でもあったり。

だからこの時点で長所・短所と分けたりせず
単に「特徴」なんだと私は思います。

まずはまるごとの自分にOKを出して
こんな自分もいるんだな、と
それを受け止められること。

時にはそれが辛い作業だったりも
あるわけですが。

でもその作業に慣れてくると
じゃぁ、どうしたい?
どうすればいい?

そんな気持ちの変化が生まれます。
意識するだけでも
今までは見えてこなかった
様々のことに気づいたり。

慣れ親しんだ習慣や感覚を
一度に変えることは難しいですが
意識して少しずつとりくむことで
周りは確実に変わっていきます。

もしも何も変わらないとしても
それを受け止める自分の感情が
変わってくると思います。

そして
人間関係も変わってくる気がします。


自分の傾向を知って
それをジャッジするのではありません。

そうか、そういう傾向があって
うまくいかないことがあるのなら
そこを意識して変えてみようかなーとか
そう思うのなら素直にそれを伝えてみようとか。

そこを変えると
きっとまた新しいものをつかめるような
視野もぐんと広がるような…

自分を知る。
それはより良い自分の成長のため。
より清々しく生きていくためのように思います。

だからそれは自分で感じないとですね。

人が見た自分をさがすのではなく
人の評価に左右されるのではなく
自分自身で自分を見つけていく。
ジャッジをせずに客観視をする。

そこが大切なんだと思います。


気づき始めても
本当にそれを客観視して見れるようになるまでには
とても時間がかかることもあると思います。

かと思えば、同じようなことが続けて起きて
あ!これ、自分の癖かも?と
突然気づいちゃったり。(最近のワタシ)

今まで通りのほうが楽ちんなわけですから
多少の不便があっても
楽な方に流れるのが人間。
ここは忘れてはいけません。

日々流されてしまっていると
深く考える時間がなくなってしまうから
もったいないですよね。

ゆったりした時間は
意識して持ちたいものです。

つまづきながら、転びながらでも
自分と向き合って成長していく人に
なりたいと思う。

そういう人たちをみてきているので
それが本当に尊いとも思うのです。

みんなしっかり自分とむきあって
何かが腑に落ちた瞬間があるといいます。

これはもう目からうろこどころではなく
パーッと視界も広がって
内側からぐわーっとくるものがある感じ。
(人によってイメージは違うかな)

魂が喜んでいる感じ??
大げさにいうと世界が変わる感じ。

人間、一生成長できる生き物です。

だから自分の傾向を知らないまま
ほうっておくのはもったいないです。

成長のチャンスが隠れているから。
もっと自分を大切にして
もっと幸せな思いを感じていくことが
できるようになるはずだから。

まだまだ未熟者ではありますが
それはもっと成長する可能性があるということ!
ずっと真摯な未熟者として
躓いたりしながらも、
前を向いて進んでいきたいです

まじめですねぇ~

でも大事な自分の人生なのだから
まじめでOK!




7か月ぶりのメディテーション内観法

新年度を迎え、あぁこのタイミングで
やってみたいなぁと思っていたら、
7か月ぶりにこのワークを体験できました。

どうぞ過去の記事もご覧ください。

☆メディテーション内観法再び…
http://kazeniyurerukigi.blog.jp/archives/1061071227.html


本当に何度も何度もやっているのですけれど
絵画セラピーと同じく、
あれこれ知識があったとしても
それがまったく邪魔にならずに
今だからこその風景や物があらわれる不思議。

自分をとりまく環境の変化にあわせ
自分の心持ちもずいぶん変化したことを
改めて自覚して、嬉しく思ったり、
これからの方向性、自分がやりたいこと、
大切にしたいこと、
それらがメッセージとなって現れました。

水辺を越えて、自分の行きたい場所に行く、
という場面があるのですけれど、
これはその人にとっての人生のとらえ方だったりします。

荒波の海だったり、広い川だったり、
霧に包まれた沼だったり、
静かな湖だったり、池だったり。

向こう側にたどりつく方法も、
船に乗ったり、ボートをこいだり、
素足でバシャバシャと水に入っていったり、
水辺の道をゆったり散歩していくんだったり…
都合よく橋が現れて、
簡単に渡れたりすることもあります。

前回?前々回?私は、確か
自分でボートを漕ぎたい!
自分の力で進みたい!と思ったのでした。

それは本当にその時の心持ちとぴったりマッチング。
漕ぐことを楽しみたいと思った
そんな自分をえらいなぁと
応援したくなったりしたものです♪


そして今回の水辺は…

とってもかわいい春の小川でした♪
両脇には草が青々と茂り、
小さなお花もたくさん咲いていて、
とても澄んだ川なので
メダカまで泳いでいるのが見えました。

いつのまにか小学生の自分にもどっていて
「こんなのかんた~ん!」と
川をひとっ跳び。
楽しくて仕方ありません。

向こう岸には、子どもが数人いて
見たことのある子も、はじめての子も
一緒に仲良く野原で遊びました。

あとから振り返れば
なんだか仕事に直結していた感じです。
今まで出会った子、
これから出会う子。
きっとそういうことだったのかな?

川を飛び越えちゃったくらいですから
心もとっても軽やか。
気分爽快でした。


この日、もうひとつ、おもしろかったのは
一緒にワークを体験した3名が
同じように、『中世』がキーワードのものを
瞑想の中で見ていたこと。

いろんな不思議が訪れますね~

絵画の時も、なぜかわからないけど
これを描きたい!と思って描くことがあります。
こんな色にしたい、と湧き上がる思いがあります。

瞑想の中でも、なぜかわからないけど
思いもよらないものが見えるのです。

どちらの場合も、
ふと湧いてくる感じ?

これも人によって感じ方が違うかもしれませんね。

そして、自分の内にあるものを
自分がちゃんと受け止めてあげること、
この経験がとてもいいものだなぁと思うのです。

絵画セラピーやケアエクササイズ、
どうぞ体験にいらしてくださいね。


miwako





まっすぐ受け取る

今日はたまたま朝ドラを
朝と昼の2回みてしまいました。

やっぱり心に残るセリフがありました!

「使用人だったものの娘と
お嬢様がいっしょに仕事をしているなんて
旦那様はどう思われただろう?」

とのつぶやきに対し、
人生の大先輩である靴屋の主人が
こう言いました。

いいですか。
ものごとはまっすぐ受け止めなさい。
旦那さんは
「松さんの娘さんか。松さんにはお世話になった。」と
頭を下げて、言われた。
そのままですよ、と。
それを曲がった目で見たら、
これからすべてのことが曲がってしまう。

確か、そんなセリフだったと思います。
(2回見た割に、不正確かも

「これからすべてのことが曲がってしまう」
深いセリフでした。。。

すぐに裏を考えたくなる人、
なんでも疑ってかかる人、いますよね?
もうそれは癖になっているのかも。

人の気持ちをまっすぐ受け止めるのは
すごく難しいことなのかもしれません。
ある意味自分のガードなのかも。
まっすぐ受け止めて自分が嫌な思いをしたら
いやだから??
それは自分の弱さからきている?
つまりは自分を信じていないからなのかも。

相手の気持ちを受け取れないって
すごくさびしいことだと思うのです。
人とつながるチャンスを逃しているから。
きっと相手もさびしいでしょうね。

だって
気持ちをまっすぐ受け止めてもらうのも
とてもうれしいことですもの。
あぁ伝わってよかったと思います。

そこで繋がれる。
暖かな気持ちになる。

このまっすぐな気持ちのやりとりは
相互信頼がないとできないんですよね。

相手を信頼する気持ち。
そして自分を信頼する気持ちも。
自分にガードをはりすぎて
いつも防御態勢でいたら
つながりたい相手ともつながれないかも。

いつも疑ってかかっていたら
すべてのことが曲がって見えることでしょう。
何が本当かわからないし
何を信じていいかもわからない。

そのループに陥っていたら不幸です。

かといって、人が良すぎて
詐欺にあったり、だまされるのもいやですよね。

だからなんでも受け止めるのではなく
自分の中で取捨選択。
それは必要だと思います。
なんでも受け入れすぎて
自分を見失ってしまうのもNGですものね。

気持ちをまっすぐ受け止めると
それは相手にも伝わるものです。
そこから生まれる良い波動もきっとある。
そんな関係性を増やしていけたらいいですよね。

曲がって見てしまう自分がいたら
自分はどうしてそう思うのか?
自分に問いかけてみる。
思っちゃうんだから仕方ないですよね。
それをダメと決めつけるのではなく
どうしてかな~と俯瞰で考えてみる。

自分の客観視。
そこでまた1歩前に進めるのだと思います。

miwako






サンタさんの話題から…


人って自分の見方でしか見ておらず、
自分の感じ方が一般的だと勝手に思っていて
だれがどんなふうに感じるかのバリエーションに
思いを馳せるきっかけがないと
自分以外の感じ方をなかなか受け付けられないものです。


子どもが小学校の高学年に差し掛かるころ、
よく話題になったのが
サンタさんはいるかいないか、ということ。

当時、ご近所のお母さん曰く、
息子さんのクラスで、意見が真っ二つに割れたため、
それぞれが親に確認をとって
どっちが正しいかを決めよう!ということになったそうで。

そのお母さんは、
真実を伝えるときが来た、と
「サンタさんは本当はいないんだよ。
でも、信じている人もいるから
それを人に押し付けたりせず、
あなたはこの議論から離れて黙っていなさい。
妹にも言っちゃだめだよ。」
と伝えたそうです。

サンタさんを信じていた小5の男の子は、
がっくり肩を落としてさびしそうにしていたとのこと。
「こういう積み重ねで大人になっていくんだよね」と
お母さんは話していました。

このお母さんの毅然とした態度にも
当時の私はびっくりしたのですが…

私だったらどう言うかしら?
完全否定はできないなーと思いました。
私自身、どこかで信じているような気持ちがあるので
できれば放っておいて、自分なりに感じてくれればいいのかな?
なんて。
白か黒か決めつけなくていいこともある。
心の中にサンタさんがいたっていいじゃない?
でもそれをどう伝えるか?
プレゼントを選んでいるのは親だし、
そこを聞かれたらウソはつけないし…
幸い?うちの子どもたちは、
そういった質問をしてこなかったので
実際はどうしたのか…想像するばかりです。

我が家では、
中学生くらいから、もう大きいからねぇ、
みたいな感じで、親からのプレゼントに切り替えていました。

なんというか、許されるウソ?
ウソというより、ファンタジー的な世界も容認?
自分自身も、あぁきっと親が選んでくれてるんだなぁと
子ども時代に気づいたものの、
その状況さえ、幸せなことだなぁと感じていたものです。

ところが!
3人の子どもがずいぶん大きくなってから、
ふとした時に、聞いてみたところ…

「まぁ、いないだろうなと気づいたよ。」っていう
ごく普通(と私が思う)感想もありましたが、
ひとりは、「大人たちに騙された!」と思ったそうです。
そこには、信じたものに裏切られたような落胆の気持ち。
純粋な子どもをだますなんてひどい。
被害者意識を持ったそうです。
それがずっと続いているわけではないですけれどね。

まさに想定外。
大人はだますつもりなんてこれっぽっちもないけれど
角度を変えてみれば、やはり騙されたという感想もあるんだと
衝撃を受けました

でもそれを黙っていたのは
親への気遣いも少しはあったのかも。
(勝手な推測)

それぞれ持って生まれた性質もあると思います。
のんびりタイプ、せっかちタイプ、
細かいことが気になるタイプ、
気にならないタイプ、
心配性、楽観的、
批判的、協調的…
どのタイプも、表裏一体で長所も短所も併せ持っています。

私の感覚では、サンタさんの一件は、
ちょっと寂しいことだけど受け入れていくこと。
それが一般的?と思っていましたが
自分の子どもでさえ、私とは違う感情をもっていた、
それにまったく気づかずにいたんだなぁと…
それはプチショックでもありました
子どもと一体感が持てなかったとか、
自分の想像力やキャパが欠けていたとか、
子どもの気持ちに寄り添えていなかったんだとか…
いろいろ思いました
もう10年くらい前のことですが!

大人が騙しただなんて、
そんなのひねくれた考え方じゃない?
そう片付ける人もいるでしょう。
でも、感情はその人のもの。
他人がいじったり、批判したりするものではありません。
感情に良い、悪いはないのです。
(自分にも言い聞かせてます!)


どんな感じ方をするか、
本当にそれは個々に違っているのです。
ついつい自分が普通、って思いがちですが
そんなことはないんですよね。

子どものうちに、考え方や感じ方を否定されたら
ものすごく辛いと思います。
自分を否定されているということだから。

どう思う?
どう感じた?
そんなことを、批判者の目線ではなく
共感者の目線で聞いてあげられるといいですね。
信頼できる誰かに、感情を伝えることができて
それを、ただ、そうなんだね、と受け入れてもらえたら
どんなに安心することでしょう。
私は子どもの気持ちを尊重したいと思いつつも
時々親目線で意見を言っていた気がします。
(反省!)
答えを出さなくていい時もあるのに
そこまで思いが及ばなかったこともあった気がします。
(あまり具体的には覚えてないんですけど
反抗期の売り言葉に買い言葉とか
もう感情爆発~みたいなこともありましたし

自分の子どもはもう成人してしまいましたが
大人になってもここは大事にしたいと思っています。
ちょっと冷静、客観視もできるようになってます~
いつからだって、意識すれば
ものごとは変わっていきますものね。

人間関係、すべてに繋がっていることだとも思うのです。

感じ方は人それぞれなんだなぁと
客観視をする機会が増えてきました。

自分はふつうと思っていたのに、
私って変わっている??と思っちゃうくらいの今日この頃です
それもよし!

miwako

子育て中にほっとしたこと

子どもって神様からの預かりもの。

自分から生まれたといっても

まったく未知の個性をもっていて

思った通りになんてならなくて当たり前。

今ならそういえますけどね。


3人の子どもに恵まれましたが

特に長男は私の思う枠にははまらず

それは面白くもあったのですが

母親初心者としては

どうにかちゃんと育てなきゃとか、

しつけをちゃんとしなくちゃとか、

彼の行動に関する悩みもありました。

自分がきちんとした母でいたい、って

それだけだったのかもしれませんね。

ちゃんとしていないのは親の責任?

みたいに構えちゃっていたのだと思います。


それがそれが…

職場に復帰したころ、

後輩のひとりが占星術を本格的にやっているのを知り

面白そう!と運勢を見てもらったのです。

そうしたら、うちの子どもにはあったこともないのに

なんだかあたっていることがたくさん!

しかも、彼はこういうところがあるから

こういう経験を増やすといいですよ、なんて

抜群のアドバイスつき。



その時に思ったんです。

なんだー、全部子どもの個性なんだって。

私がどうこうしたからこうなったとかではなく

持って生まれたものなんだって。

じゃ、私の責任じゃない???

そうしたら、ものすごーく、

目からうろこが落ちたみたいに

気持ちが軽くなって楽しくなってきたのです。

なんか変?

責任放棄ってことじゃないんですよ。

個性を理解してあげればいいんだって

発想の転換ができたのです。



お母さんって、自分ががんばらなきゃ!って

思い詰めてる人、多いと思います。

でもね、何もかも思い通りになんて

決してならないし、しちゃいけない。


自分とはまったくちがった個性を育てている、

それなのに、自分の分身であるかのように

ついつい思ってしまうんですよね。

大事な大事な宝物であることは変わらないけれど

自分の所有物ではないし、

自分の理解を超える存在でさえある。


何に興味をもつのかな?

どんなことをしたら嬉しいのかな?

あぁ、こういう状況は嫌なんだ…

少しずつ、理解していけたらいい。

この子が伸びたい方向がわかって

そのサポートができたらいい。

ダメなことはダメというしつけは大事。

伝えるべきこともあるけれど

親の思い通りにはしてはいけない。

こうしなさい、ああしなさいと

親が無理やりレールを引いたらダメ。

この子の個性をいかに伸ばしていくかが

自分の役目なんだなぁと

しみじみと思ったものです。


一筋縄ではいかないですけどね(笑)


でも、自分ががんばらなきゃ、と

思いすぎているお母さんがいらしたら、

ちょっと肩の力をぬいてください。

自分を責めないで

お子さんも責めないで。

ちょっと気持ちを緩めたら

違った角度から見つめることができるかも。


客観視。

大事ですね。

ケアエクサでもいつもキーワードです!


miwako

自分の眼鏡

人はみな、自分の価値観の眼鏡をかけて

世界を、周りの人を、

自分が見たいように見ているんですって。

価値観メガネとか

自分の眼鏡、コンタクトレンズをつけて、とか

そんな表現を何回か目にしてきました。


確かに、確かに…

自分の見方で見てますよね。


それを意識して

時にはその眼鏡をはずしてみる。


物事を多角的にとらえよう、とか

違う角度から検証してみよう、とか

そんなことと同じですね。


でも、眼鏡をはずすって、この表現が

とってもわかりやすい気がします。



眼鏡をかけてみていたら、青くみえていたものが

もしかしたら緑に見えるかも?

見ている自分は同じなのに。


自分の考えたこと、思ったことが

必ずしも真実ではないことがある。

思い込みっていうやつ。


でも自分の眼鏡をかけっぱなしだと

そんなことにも気づきにくくなってるんでしょうね。

何十年もかけてますから!(笑)


思考パターン、思い癖、

かなり頑固に身につけていることでしょう。


でもケアエクサをはじめて、

そしていろいろな勉強をするようになって、

眼鏡をはずして物を見る感覚が

少しずつ育ってきています。

気持ちもおおらかになってきます。


何か困難にぶつかったら、

うまくいかないことがあったら

そうだ、自分の眼鏡をはずしてみてみようと

一呼吸おいて、冷静に客観視をするきっかけにもなります。


そうすることで新しい発見や

自分に対する気づきも生まれます。

今まで身につけてきたものが

良いとか悪いとかではなく、

それを客観的に見れるということ。

それをきっかけに自分が変わっていくことも。


いつも眼鏡をかけっぱなしだと損ですね。

自分のことは自分が一番わからない、ともいいますが

それは眼鏡をかけて自分をみているからかもしれません。

思い込みから解放されたら

自分自身ももっと自由になれるのかもしれませんね。


miwako








経験を自身の血肉にするには(2013.11記)

何か一つの事を形にしようと、いろいろな人が関わる時・・・


強制されて訳もなく
自分で「やるんだ!」決めてその場に臨んでいたとしても

―私ってホントにダメなの~。自信なーーい。

ーナニ言ってるの??そんなこと言ったら私なんて~
  この前もね、余りに抜けちゃってて

―やっだ~~

と、いかに自分はだめなのか、
笑いに変えながら話に花を咲かせてしまう人がいます。



でもね

そこには真剣にそこに居て、全体のゴールを見定め

どうしたらみんなにとってより良いものができあがるのか・・・


自分の感情よりも、そこを見定めて動く人もいます。


きっとその人だって、初めてのことに不安もとまどいもあるでしょう。

でも、そんなことを 今 言っても

この状況にとっては何にもならないことを知っているんです。



それよりも、

今何を成すべきか

もっともっと、その場の波動を研ぎ澄ませて良いものにしたい

と思っている事がよくわかります。



自分の不安をしゃべり、
そこで同じように共感してくれる仲間がいると安心するのかな。


できないことを先に宣言することで、
失敗した時に「しょうがないよね」って、周りにも 自分にも許して欲しいのかな。


「謙遜が美徳」って思っているのかな。



もしそうなら・・・

その経験は、きっと自分の血肉にはなりません。


もし、うまくいったとしても『自信』として自分の中に残らないでしょう。
「ラッキー!」って思ってしまうんじゃないかしら。


もし、失敗してもその原因を探ることはしないでしょう。
きっと「やっぱりダメなのよね~」と
笑いに変えてごまかしてしまうんじゃないかしら。



成功も失敗も、その経験が自分の血肉になるのは

目の前にあるミッションに どれだけ真摯に向き合うことができるか

それにかかっています。



―自分自身が選択したことに、真摯に真剣に取り組んでいるか

―その姿勢が、周りにどう影響を与えているか


そんなことを内省するヒトトキは、貴重です。


kimiko