絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

気づき

本当の意味

心が痛い・・・

そんなひどい出来事があっても・・・



受け入れがたく

なぜ自分がこんな目に合うのか
合わなければいけないのか

「私は一生懸命に生きているよね?なのに何故?」

と苦しんでも・・・・

そんな目に合わせた相手を恨んだり
憎いと思ったとしても・・・



どうかそこから離れて物事をつぶさに見ていって欲しい。

俯瞰して全ての面からそれを追って行ってみて欲しい。



そこには本当の意味が
貴方にとっての大切な意味が

ちゃんとあってのことなのだから・・・



そして今までのあなた自身の課題を
いっぺんに手放せるような事柄が
ちゃんと隠されているのだから・・・



苦しみのさなかに居て
それに気づける自分を創ってこれているだろうか・・・・


心を切り裂かれるような出来事の裏側に

そんな神の采配が見えたとき、分かったとき


苦しめた相手にさえ

その運命にさえ


感謝の気持ちしか沸いて来ない。



「ありがとうございます」



そしてまた一つ 自分自身が強くなり

そしてまた一つ 周りの人に優しくなれ


そしてまた 自分がとても愛おしくなるのです。




kimiko

日々の振り返り していますか?(2014.1記)

ケアエクサ(正式には「心と体のケアエクササイズ」)では
ワークの一部として、近況報告をしあうことがあります。

日々感じること、嬉しかったこと、驚いたこと、
辛かったこと、疑問に思ったこと、
家族のこと、仕事のことなど様々です。

始めた当初は、もっとインパクトの強い?ワークや
新しいものに興味がひかれていたので

えー?どうして近況報告なの?なんて感じたこともありました。

なんだか地味な気がして。(笑)


今思うと、自分を振り返ることに慣れていなかった、
ということもあったかも。


忙しい日々を送っていると、毎日が流されていきますよね。
時々たちどまって、自分を振り返る。
今はこの作業が自然なこととなり、大切なことのひとつです。


信頼できる場で、自分の思いを語ること。
しゃべりながら、自分で自分の気持ちを整理していることもあります。

ふと、「気づき」がおりてくることもあります。

より明確に問題点がみえたり
別の角度からの意見をもらえたりして
客観視がすすみ、思いを深めていくことができます。

時に励まされたり、一緒に喜んでもらえたり、
哀しみや怒りを共有してもらえたり。

また日々のちょっとしたことに、
実はその人の考え方や行動のくせが表れていることも。

訳が分からないけど、違和感を覚えたことなども
話しているうちに理由がわかったり。

そこに気づくと、また新しい展開が待っていたり。

始めたころは、表層しか見ていない、聞いていない状態だったので
近況報告と言われてもなぁ~と
挨拶代りくらいにしか感じられていなかったのですが!


考えてみると、まじめな作業ですよね。
でもそれは、自分の感情を丁寧に大事に
扱っていることにもつながっています。

自分の事ばかりでなく、他の方々からも
学ぶことが沢山あります。
それぞれが毎日を一生懸命生きていることも実感します。


人は大人になるほど
手っ取り早く満足することを求め
インパクトの大きいものに魅かれ、
日々の感情はとりたててみることもせず、
ただただ流してしまい
それを十分味わう作業をしなくなるのでしょう。

日常の、ふだんの自分が充実していくことが
本当は一番なのですけれど
それを見ている人はどのくらいいるのでしょう。

そういえば子どもの頃は
行事の度に作文を書かされていた?
書くことで全体を振り返り、
もう一度その時の感情を味わい、
自分の中で深めていく効果があったのかも。


私もケアエクサがなかったら
もっともっと仕事や家事に追われ
自分を見失っていたかもしれません。

自分の感情を一番後回しにしていたかもしれません。
(そういうお母さん、多いですよね! 要注意!)


***


ケアエクサに興味をお持ちいただいている方々。

どうかインパクトは求めずに。
淡々と向かい合っていくことで
その先に見えてくるものがたくさんあります。

そしてそれは手っ取り早さを求めている人には
手に入れることができないものなのです。
誰かが教えてくれるわけではなく
自分で気づくものだから。

時々立ち止まって、振り返る。
ぜひ、この作業をやってみてくださいね。


よろしければケアエクサにどうぞご参加ください。
そしてわけがわからなくても
淡々と習慣のように続けてみてくださいね。


Miwako

象徴的な出来事(2013.10記)

前回の『Kimi達プロジェクト 始動!!!』には
応援や〈イイネ!〉ポチっも たくさん頂戴し、ありがとうございました。

みなさまからお力を頂いたようで、頑張る活力につながります!


*****


忙しいさなか
30年来の友人とフランス料理のランチ。

どれもこれも手が込んでいてとても美味しかったです。


長居はできなさそうなお店ですから、そこからスタバへ移動。

お天気もとても良い日でしたので、外のデッキにて
カフェとおしゃべりを堪能しておりました。


と、友人Sがいきなり「ああっ、子どもが消えた!!」と。

私は道路側に背を向けていたので、全く状況が掴めず「???」


普段はとてもおっとりしていて、
動作も しゃべる速度も ゆっくりゆったりのSが

脱兎のごとく、デッキを駆け降りたかと思うと

植え込みの向こうから「あっ!おじいさん!大丈夫ですか!?」との声。


私も慌てて、近づいたところ
おじいさんがうつぶせのまま倒れており、壊れた眼鏡と杖が散乱。

子どもと思ったのはおじいさんで、つまずいて転倒したのでした。


そこからSはすかさずおじいさんに駆け寄り
「大丈夫ですか?」と声を掛け、
意識のあったおじいさんが頭を少し持ち上げたところ
顔と手から、鮮血が・・・。


「頭を打っているかもしれないので、じっとしていた方がいいですよ」
と言いながら、その隙にすかさず自分のタオルハンカチを
顔の下に敷いてあげていました。


そこへ地元の若いママさんが通り
「うわっ、大丈夫ですか?」「救急車、呼びましょう」と。

私もすかさず、携帯を取り出したのですが・・・・

なんと充電が4%にて、起動も遅く、モタモタ(--;

若いママさんは待ち切れず、ご自分の携帯を取り出し 的確に連絡。


救急車が到着するまでの4.5分、友人Sはひたすら

「安心してくださいね。もう救急車が来ますよ」
「痛いですね。もう少し我慢ね~」
「大丈夫ですよ~」

とおじいさんの腕を擦りながら、声を掛け続けていました。

その間、私はほとんど何もできずに
散乱した眼鏡やバック、杖を拾ったりしておりました。


意識もしっかりしていたので、
きっと大変なことにはなっていないであろうおじいさんを見送り、
少し安心しつつ元の席へ。


ケアするお仕事をしている訳でもないSの

迅速・的確・そして温かい思いやりのある行動に

「やっぱり、素晴らしいヤツだな~」と惚れ惚れしつつ

自分の不甲斐なさにビックリし
(それほど私にとってはあり得ない自分の対応でした)

ちょっとガックリしたのですが・・・



はっ!!!



と気付いたのです。


普段から誰よりも行動的で素早さが身上のワタクシ・・・
頭の回転はかなり早い(手前みそで、すみません^^;)


こんな状況の時、誰よりも先に動き、的確に行動し、いつも

「kimiが居てくれたから」

と、感謝を述べられ、賛辞を受けてきた私。


ですが、初めて『何もできなかった』という体験をした・・・。

出遅れた為に。



はっ!!!



そうか、今までは私が一番手だっただけで、

二番手の人も本当は何でもできたのだ。

その時さえくれば、みんなできる やれる力はちゃんと備わっているのだ。



そうして二番手になってしまった人は、今の私のように

「何にもできなかった・・・」
「私はダメだなあ」
「どうせ私は・・・」

という思いに至ってしまうこともあるだろう。

お株を奪ってしまっていたこともあっただろうな・・・。


そして、更に

今のこの恵まれた状況も、
たまたま神様が指差したところに私が居ただけの事

もしかしたら、隣の人を差したかもしれない

その人も準備が整ってさえいれば、
きっと大義を感じてこの役割をこなすことだろう

だからこそ、決して驕ってはいけないのだ


という思いが湧き上がってきたのです。


後輩ママちゃん達からの感謝を頂き
関わっている社の方々からも必要とされ、
「私がいるから」
と勘違いをするようなことが決してないように。



きっと事が大きく進む この時に

大切な事を伝えてくださる為に

こんな象徴的な出来事が起こったのだと

(決しておじいさんの事ではなく、何もできない自分を味わうという出来事)


有難い思いでいっぱいになりました。


そして、そんなメッセージを見過ごさず

ちゃんと受け取ることができる自分自身であって良かったと

心から満たされた一日でした。



尊敬するマザーの

― 私は神の手の中の小さな鉛筆にすぎない

その言葉を少し理解できたような気がします。



この思いを忘れずに、邁進して行きたいです。


kimiko


 

みんな違って・・・(2013.7記)

ケアエクサに参加される方が口々にいうこと。

えー?
みんな違うんだー?

感じ方、受けとめ方、対処の仕方、

日常ではそう思っていても

ワークのなかでまざまざとその違いを実感し、驚きます。


自分のなかでは当たり前のことが

他の人にとってはどうでも良いことだったり。

これって日本の常識が海外では非常識だったりすることと同じかな?


それが実は一人一人にもおきていることで

家族の中でだって、もちろん違っているのです。



ケアエクサの中ではどんな感情も

否定されることは決してありません。

感情は自分のものだから。


違いがわかると、それぞれの感情がとても大切なこともわかります。


わかりあうって、自分と違うものを否定するのでなく

違いを認め合い尊重し合うことなのかな。

違いがあるからステキなのです。


ただね、自分は自分と

閉じこもってしまうのはちがう。

自分のいいところも足りないところも

すべてひっくるめて認めていたら人ともつながれるはず。

自分を押しつけることも違うかな。

言葉ではわかっていても実は体感していなかった、

そんな気づきを沢山もらっています。



今日もこれから3時間コース!

よろしくお願いします(^O^)/

皆様もいつかご一緒しましょうね。



miwako

仲間がいてくれる ということ(2013.5記)

人のことは、よく見える。

でも、自分のことは、よくわからない。


この間飲んだ時に、その場にいたみんなに、

私が言った言葉で切り返しをされて

目の前で見せられて

初めて 納得する。

ーーー

こどもにサッカーを指導する時に

大切なことは、見せること、なんですって。

テレビで、セルジオ氏が言っていたんだけど、

その証拠に、こども達に技を見せると

「もう一度見せて!」

とはいうけど、

「教えて!」

とは、言わないですよ、って。

ーーー

子ども何かを伝えたかったら、

見せること。


それに納得、感心してたけど、

実際、ものは違うけど、

自分が見せられて

ものすごい説得力で 納得しました。


少しづつ、少しづつ

自分の 滞っている場所が 明らかになって来ている。


亀より遅い歩みでも

いいんだよ〜と、伴走してくれる人たちがいる。

私は、焦りつつも

いやいや、安心して、自分のペースで進んでいいんだ

と、思い直す。

そんな貴重な機会が

仲間がいてくれるのが

私にとっては、

ケアエクサです。

可能性の扉を発見!

私もケアエクサの振り返りです



自分の中にもまだあったんだなーって。

無意識に限界を決めて、それはない、ありえないと思っていたこと!

決めつけていたからこそ、見てもいなかったし、深く考えることもなかったこと。


そうか、可能性っていつでもあるんだ。

大人になってもいくつになっても!


なんのことかわからないですよね?

ごめんなさい~

でもきっとどんな人もそれぞれに

無意識に可能性にふたをしていることがあるんだと思います。


嫌だったり、苦手だったり、意識しているものとはまた別に。



自分でふたをしていたら、

別世界のことのように感じていたら、

そこには壁ができてしまう。


でも本当はそこにも扉があるってこと。

それは誰にでもあるってこと。

その扉を開いたら、その先が見えてくるって

あぁ、そういうことなの?って

目からうろこのように腑に落ちました。


まだまだ頭で考えて納得しちゃってることがあるんだなぁ…

自分の感覚を信じていなかったんだなぁ…

もっと自由でいいのに、規制をかけていたんだなぁ…


今のタイミングだからこそ気づけたことかもしれません。

すぐに扉全開!とはならないけれど

すこーしだけ扉が開いて、明かりがさしこんできたような

うれしい気分。


自分が自分の可能性を信じること。

それがなきゃ、扉は開かないどころか、その存在にも気づけないんですね。

自分で自分の可能性を否定してたのかー!

と、プチ驚きの今回でした。


そしてその可能性の扉が開いていったら

どんな景色が待っているのか

今はとても楽しみです



Miwako