絵画セラピー・ケアエクサ

「自分自身」を生きるために! by絵の通訳者

自分を受け入れる

年の瀬に宝物を・・・Ⅰ

心と身体のケアエクササイズ
今年最後の平日2時間コースが終わりました。

いつものメンバーさんに加え、
久しぶりにお越しくださった方が1名。

締めくくりにふさわしい、
素晴らしい気づきと成長、変化の会となりました。


今日は、Cさんのお話から・・・
(掲載に当たって、許可を頂いております)


最初にお越しくださってから、早4年が経つCさんは
その可愛らしいお顔立ちに似合わず、
初めの頃はとてもクールでドライな発言をなさっていました。

―人のために・・・とか、正直分からないです。
  多分冷たい人間なんだと思います。

―家族にも別に思い入れは無く、
  それぞれ余り関わらずに平和にいられればいい。
    結構面倒くさがりだから・・・。

とよくおっしゃっていました。


けれど、

『死と再生のワーク』で

そんなふうにおっしゃっていた彼女が生まれ変わったものは・・・

人々を救う 看護師でした。

Cさんは、ものすごく不思議に思いながらも、

「私は、本当はそうありたいのかもしれない」

そんなふうに、その『思い』を否定せず
もちろん半信半疑ではいましたが
素直に自分の中に一旦受け入れていらっしゃいました。


これが頑なな人にはなかなかできません。

ご自身で見た、また浮かんできた深層の思いであるはずなのに

嘘だ
そんはずはない
そんな自分は信じられない

と即座に見ること、受け入れることを拒否してしまう人も多いのです。

自分の事は自分が一番知っている・・・

これも確かに大切な感覚ですが、浮かんだことは事実。


自分でそこを否定してしまうと、
頭の中で認めている自分しか受け入れないことになってしまいます。


自分の決めている枠組みから外れたものを認めないということは
自分のその枠の世界のみで生きて行くということになります。


それが行き過ぎると、他者からの助言や思いを受け取れず

自身を客観視することが難しくなってきます。


Cさんは講座にお越しになる度
飾ることなく、周りの評価を気にすることなく
いつも正直な思いを発言してくださいました。

ともすると、ストレート過ぎて誤解を生むかもしれないような思いも
常に正直に伝えて下さいました。

その度、私は彼女からの信頼を感じ、有難く思ったものです。

そして、なんとか今の状況から
一歩踏み出して欲しいと願ったものでした。

なぜなら、クールな仮面の下に

愛情を求めているのに、どうしたらいいかわからない

小さなCさんが見えていたからです。


そして、今年一年
自身のお子さんに対して、とても とても気持ちをかけるようになり
「それがとても楽しく、喜びです」
とおっしゃるようになっていきました!


初めは余り表情がなかったお顔も、
最近ではいつも笑顔やはにかみが浮かび、
周りも明るくなっていくようでした。


そんな彼女が、この日のワークで
どうしても避けていた自身の母との関係に置いて
自分からお母さんに

「愛してるよって言って」

と伝え、お母さんから

「『もちろん・・・愛しているよ』と言ってもらえた」

と涙をにじませて伝えてくれました。

Cさんが、また一つ自分自身で自分の殻を脱いだ瞬間でした。


そこに居た皆さんも
そこの空気さえも

温かく穏やかな波動に包まれていました。



このお仕事は本当に大変なことも多い。

けれどもその分、こんな瞬間に立ち会わせて頂くことができる・・・

今回またその有難さを深く感じ得ました。


人はいくつになっても自分が望み、そこに向かって行動を起こせば

必ずより良く変わって行けるのだ

ということを、またまざまざと見せて頂きました。


Cさん、来年がまた楽しみですね!


ご参加の方々に、感謝します。



kimiko

再生の過程(2013.5記)

エリザベス・キューブラー・ロス博士は
ターミナルケア(終末期医療)・サナトロジー(死の科学)の
第一人者と言われています。

1950年代より医師として臨床をふんだ博士は、1959年より精神科医となり
今は日本より遥かに進んでいるアメリカや欧米でも、
その頃はまだまだ「死を語ることはタブー」とされていた時勢にして初めて、
死に逝く人達の研究をなさった方です。


『死の受容過程』(死に逝く者の5段階)

を臨床研究により確立させました。
心理学専攻者や医療従事者なら必ず学んだことでしょう。


死の受容過程とは・・・

まず第一段階として起こるのが「否認」です。

―私にこんなことが起こるはずはない。何かの間違えだ。


次に「怒り」

―まっとうに生きてきた私がこんな目にあうなんて!神様なんていない!!
―周りにいる人達だって人ごとと思っているに違いない。許せない!


第三段階では「取引」

―○○を我慢すれば、治るのではないかしら。
―心を入れ替えて良い人間になれば、神様が救ってくれるのでは。


第四段階では「抑鬱」

何も考えられない鬱の状態。


そして、最終的に全てを受け入れる「死の受容」

親しい人に思いを伝えたり、心静かに死の準備が出来るようになる状態です。


*****

生きて行くことに不自由さを感じている
常に満たされなさを感じる
いつもイライラしている

そんな方々とお会いする機会も多々あります。

その時、私はどこかで常にこの5段階のことを感じずにはいられません。


物事がいつもうまくいかない・・・

その原因が自分の側にあるという段になると『否認』に走る方がいます。

―私の問題ではない。周りのせいなのだ。



そして、いよいよ問題点を認めた後

しかしそれは、自分にトラウマを持たせた親が憎いと『怒り』を持ったり

この苦しみをわかってくれない近しい人に『怒り』を感じたり

また、深い所にあった歪みに気づかせてしまった私に対して『怒り』を持ちます。



ですが「人のせいにしていても始まらない。変わらなくては。」と思い

その為に我慢をしてみたり、
周りとの摩擦を恐れ評価を得る為にいい人を演じてみたり・・・

本来の自分自身を曲げることで、何かを得ようという『取引』をします。



それでも、本当に望んでいるものは手に入らない・・・。

自分自身の気持ちに嘘をついて頑張ることにも疲れてしまった・・・。

どうしていいのか先が見えない、
そんな状態で『抑鬱』的に暗くなる方も確かにいます。



そうして辿り着いた『受容』

―いいも悪いもないのだなあ。自分自身のあるがままを受け入れよう。

―内包されている苦しみも憎しみも、それも自分の確かな一部なのだ。

と受容することで初めて、その一部を自分自身によって変えていく
という選択権が生まれるのです。



ロス博士は、

死を迎えた後、人はサナギの殻を脱ぎ捨てるように

魂だけの存在として再生し、神の地へ向かう


と言っています。


私も、

自分自身を受け入れた後に、まさにその人の新たなる再生が始まるのだ

と確信しています。



kimiko